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初めて執筆したアート関連の記事がお蔵入りになりました...
先日、急遽依頼を受けて初めてアート関連の原稿を執筆し納品しました。
…が、諸事情によりお蔵入りに。
急いで納品してほしいと言われて書いて納品したものの、別のライターさんがあげたものを採用することになったらしく、結局内容のチェックも媒体への掲載もしていただけないことになりました。
せっかく、初の執筆ジャンルで初見の作家さんをリサーチして執筆したのに記事の出し先がなくなってしまって無念なので、こちらに掲載します。
記事の書き方や内容に関してご意見ある方はぜひお聞かせください
「白髪一雄 〝いにしえの赤〟と具体が育んだアクション・ペインティングの変遷」
アメリカ生まれの抽象表現主義の技法のひとつ、アクション・ペインティング。これは、画家が大胆に身体を使いながら作品を完成させるアート技法で、静謐さや計算された構築美が漂う通常の絵画の制作の仕方とは異なる工程と独自哲学を持つ現代アートである。
白髪一雄は、このアクション・ペインティングの日本における草分け的存在とされ、海外にも多くのコレクターがいる「具体」アーティストだ。彼の描画スタイルは、ロープにぶら下がって滑走しながら油絵の具で描いていく「フット・ペインティング」で、絵肌に残る油絵の具の厚みや絵具の滴り、滲みといった描き筋からも、今にも爆発するかのような躍動感とダイナミックさ、そして緊張感が伝わって来る。
1924年に尼崎の呉服商の長男として生まれた白髪がアートを学んだのが京都市立美術専門学校(現・市立芸術大学)だ。幼少期から絵画に親しんできた白髪はそこで日本画を学び、後に洋画に転向する。その後、1950年代になると「戦後」という新しい時代性を表現できる新しい絵画の描き方を追い求めるようになり、ロープにつかまって走行しながら素足で縦横無尽に絵を描いていくフット・ペインティングのスタイルを編み出して行った。
白髪の作品を紹介する上で欠かせない要素が2つある。1つは、「クリムゾン・レーキ」と呼ばれる鮮やかな赤を軸とする独特の色彩感だ。白髪は、尼崎の老舗呉服商の跡取り息子として生まれ、幼少期から色とりどりの反物や浮世絵などが身近にあり、当時の富裕層家庭の教養として古典文学や能、文楽などの芸能も学びながら育っている。幼少期から様々な色・柄に触れ、知識を育んできた彼の作品は鮮やかな色で溢れ、エネルギッシュで大胆。観る者を圧倒させるパワーがある。
ちなみに、彼がアクション・ペインティングを始めた当初思い描いていたのは、構図も色彩観念もない「なまこみたいな絵」。赤1色を使い、指や手のひらの痕跡でキャンバス全体を埋め尽くすことを始めた白髪が、それだけでは飽き足らず編み出したのが、ロープを使い素足で走行しながらキャンバスを絵の具で埋め尽くすフット・ペインティングだった。
白髪が初期に好んで用いた「赤」が、「クリムゾン・レーキ」という〝いにしえの赤〟とも呼ばれる血のように深い赤色だ。この「クリムゾン・レーキ」という色は、彼の原点にして、のちの複数色を使用して製作された作品においても、キーポイントとして度々登場するキーカラーとなっている。まさに、アーティスト白髪一雄を象徴する色と言えるのだ。
もう1つは、白髪が1955年に入会した具体美術協会、通称「具体」だ。具体美術協会は、1954年に結成され、カリスマ的指導者であった抽象画家の吉原治良のもと、戦後日本のアートを牽引した前衛アーティスト集団。「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という思想のもと結成され、白髪以外にも、嶋本昭三、田中敦子、元永定正ら独創性のある作家を生み出し1972年に解散した。白髪をはじめ、鉄パイプやガラス瓶に絵具を詰めて、爆発や瓶割りで作品を生み出した嶋本昭三、「電気服」のパフォーマンスで注目を集めた田中敦子らなどが所属しており、当時日本のアートが世界でも評価される礎を作った存在と言える。
具体参加以降、白髪はリーダーであった吉原治良の指導を受け、フット・ペインティング時の自らの身体の動きと作品の質の向上に注力していく。似通ったアクションによるマンネリズムを回避するため、足の側面を使いながら描線の幅を調整するなど、この時期は特に作品ごとに彼のこだわりと様々な試行錯誤が垣間見える。そして生まれたのが大作「水滸伝豪傑」シリーズだ。
水滸伝豪傑シリーズは1950年代~60年代にかけて全108点描かれた、海外でも人気が高い白髪の代表作シリーズだ。当時、「具体」リーダーの吉原は、作品にタイトルをつけることを禁じていたのだが、少年時代から中国の古典文学を好んでいた白髪は、作品を見分けるために必要だと直談判し、吉原に「水滸伝」に登場する豪傑の名前を付けることを特別に許してもらったという。幼少期の白髪がとりわけ愛読していた『水滸伝』。その豪傑108人の名前がタイトルとしてつけられた本シリーズの作品を観れば、アクション・ペインティングによって表現される彼のアートにかける情熱と、物語を彩る個性豊かな豪傑たちのイメージに胸を膨らますことができるはずだ。