自分の頭で考える
少し前に、政治家の方々LGBTを否定するような発言をしたことがニュースになっていた。
数日前も、どこかの県の議員がTwitterにLGBTに対しての不適切投稿をしていたとニュースになっていた。
私は身近にLGBT当事者がいるからか、こーゆうニュースは不快に感じてしまう。
とはいえ、こんな発言をしてしまう方に対して不憫に思うのも正直なところ。
「昭和の常識は令和の非常識」という言葉があるらしいが、
LGBT軽視発言をしてしまうおじさん(とは限らないが)たちが若かった頃は、
『女装している男性を笑いの対象とするテレビ番組』や『男性同士での絡みをホモと嘲笑する学校生活』のある環境だったのではないだろうか?
だから、過去の感覚でなんとなく「LGBTは認められない」と感じてしまうのでは?
これはLGBTに限った話ではない。
私は35歳、未婚、パートナーと同棲中だが、
年上の男性達との飲み会に参加するたびに
「結婚はまだなの?」と聞かれる。
ダイエット中で炭水化物を控えていると話した時には「あらっ、ダイエットなんてもしかして!礼服用意しとこうかな!」なんて、
予定もしていない結婚式の準備をされそうに、、笑
私としては、パートナーとは信頼関係にあるし既に一緒に生活しているので結婚してもしなくても変わらないと思っている。
ただ「結婚は?」と聞いてくる方にとっては、「結婚=幸せ」であって、きっと私の幸せを気にしてくれているんだろうなと思うので有り難くスルーすることにしている。
そういえば90近い祖母も、
会うたびに「良い人いないの?結婚して、子供を産んで、女の幸せを知って欲しいの。」と言ってくる。
祖母は認知症だがそこだけはいつもはっきり明確。
『祖母の時代の幸せの価値観』×『可愛い女孫』からくる愛情コメントなので、ここも有り難くスルーすることにしている。
みんな、自分の育ってきた時代や環境で『正』とされてきた基準や価値観でものを見ているんだと思う。
それがあるから人生いろいろ判断出来ていまここにいるし、価値基準がないと人に流され生きづらいと思う。
ただ、他人のことを言及するときや自分以外に影響を及ぼすことについては、
自分の価値観は相手にとっても正しいのか?ということを考える必要があると思う。
何となく刷り込まれた正誤で反射的に判断するのではなく、
一度自分の頭で自分はどう感じるのかを考えてみる。
自分で情報を得てしっかり考えてみると、今までと考えが変わることもあると思う。
「昭和の常識は令和の非常識」について、
時代は流れ変わっているが、令和の価値観が全て正しくて正義だとは思わない。
これは次の記事で。