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誰かが亡くなること、それはもちろんとても悲しいことだから

最近、こういうニュース多すぎませんか……?

例の感染症のせいで、これまでなんとか保てていたやりがいや役割が手のひらからこぼれ落ち、ときに破綻し、自分を自分たらしめるものが大きく揺らいでいる人が多いからなのかもしれません。

旅立ってしまった人に対して、いまのわたしにできることはなにもありませんが、残された人に対してはたくさんあります。

特に、悲しみやもやもやした気持ちを抱えながら、なんとか日常に溶け込もうとしている、あなたへ。


わたしたちは、泣いちゃダメ

仕事柄、お看取りの場面に立ち会うことも多いわたしですが、先輩から教わった最初の事例で

看護師はね、家族の前で泣いちゃダメよ
わたしたちの仕事は、泣くことじゃない
残された人がちゃんと悲しめるように
サポートすることだからね

こんな風に言われました。

それでも、思い入れのある患者さんや経過の長かった患者さんが逝去されると、当たり前ですが悲しいんです。泣きそうになります。

自分の無力さを痛感して、どうして救えないんだろう?という終わらない問いのループにはまってしまいます。

看護師だって医療従事者であると同時に、ひとりの人間。

担当患者が亡くなったあと、目を真っ赤にした同期が病室から出てくるところを何度も目撃しています。それくらい、上記は個人差のある考え方。

ただ、わたしはかたくなに、これを守っていました。

患者さんを失って一番悲しいのは
残された人たち
わたしが悲しんでる姿を見せてはいけない
場がしらけてしまう

そう思いながら、お看取り、そしてエンゼルケアをしていました。

だから、わたし、患者さんが亡くなる場面で泣いたことがないんです。

こう言うと、すごく冷たい人間のように聞こえるかもしれませんが、これくらい自己と他者をわけていられるような人じゃないと、この仕事は務まらないというのがわたしの持論。

すぐに泣いてしまう看護師より、自分ではよっぽどプロフェッショナルだと思っています。


ただ

ただ、1回だけ泣いたことがあるんです。
今回は、そのときのお話。


泣かない家族

数年前、ある男性の患者さんを見送りました。
末期の胃がんでした。

その人は、会社を経営されていて、最期のお召し物もスーツとネクタイ、と指定されてくるほど、仕事がご自身の生きがいであった方。

いざ、スーツを着せてみると、30キロ以上痩せてしまった身体とサイズがまったく合わず、タオルやガーゼを使って生前の恰幅の良かった頃の体格に近づけた、という思い出があります。

がん特有の身体の痛みや心のつらさもあったはずなのに、1度も弱音を吐かずに息を引き取りました。

知らせを聞いて駆けつけてきた奥さん、娘さんたちも、スーツやワンピースでいらっしゃるようなご家族。

みなさん、亡くなった患者さんを見て呆然とすると共に、気丈に振舞おうと努めています。

悲しい気持ちやつらさを吐露しようとしないのです。

必死に、気持ちを抑えている様子でした。


気持ちを表出させること、その意味

このままじゃいけない…!

咄嗟にそう思いました。

大切な人を失ったときのプロセスとして、まずショックを受ける、とか、強い否定を示すことが多いと言われています。

この辺りに関しては、下記の書籍がおすすめ。

過去にこんなnoteも書いているので、良かったら。

この家族は、悲嘆の最初のプロセスを押さえ込んでいるようでした。

これはわたしの想像ですが、社会的立場のあった夫・父に習い、他人に弱さや脆さを見せることがタブーというような価値観がすり込まれているような。

だから、人前で泣くなんてもってのほか
そんな印象を受けました。

もちろん、そういう人はこの家族以外にも多くいます。

ただ、こちらとしてはちゃんと悲しんで欲しい。家族をケアするのも、わたしたちの大事な仕事。

後々になって、あのとき、ちゃんと悲しめなかったと自分を責める人が出てくることがあるからです。

悲嘆はプロセスも程度も、本当に人それぞれ。

理論上は、人は最後に死を受け止めることができる、となってますが、そんなのほんのひと握りです。

みんな、否認したり怒りをぶつけたり、乗り越えられないまま、なんとか生きている人ばかり。


ここで余談になりますが、わたし、小さい頃にミュージカルを習っていたことがあるんです。

貰う役はいつも悪役ばかり。
当然、泣いたり怒ったりする演技が上手くなります。

プライベートでは1度もやったことはありませんが、30秒あればぽろぽろ泣くことができるんです。

(…今こそ…このスキルを使うときでは…?)

女優ナースあさみは、語り始めます。

〇〇さん、本当によく頑張りましたよね。
手術も抗がん剤も、今回の入院でも、泣き言ひとつ言わなかったんですよ。
わたしたちからすると、少し心配になるくらい強い人で…

わたしの目頭が熱くなり始めます。

つらいときはつらいと言っていいんですよ、痛いときは我慢せずに言ってくださいねと伝えても、大丈夫って笑うだけで…身体の状態を考えると大丈夫なわけないはずなのに…

わたしの頬を涙がつたい始めます。

ご家族も献身的に支えておられて…みなさん、はなまるですよ。はなまるだから、こういうときは泣いても大丈夫です。泣いていいんです。
これから先、お葬式や告別式になったら、そんなに泣く時間はありません。だから、いまは泣いても大丈夫…

こう言った瞬間、娘さんのひとりが患者さんのベッドに突っ伏してわんわん泣き始めました。

つられて奥さんも。

わたしは、そっと病室をあとにします。

女優ナースあさみの作戦がうまくいった瞬間でした。


抱く感情に悪いものなんてないから

今年は特に、いつになくネガティブな感情を抱きやすいなと感じています。

妬み、怒り、かなしみ、苦しみ、すべて他責にしたい思い、身の置き所のない気持ち…

そういう感情を抱くこと、そして抱く自分を否定してしまうと、負のループにハマってしまいます。

だから、どうか、そういう感情を否定しないでください。そういう感情を抱いてる自分を、ゆっくりと静かにできる場所で見つめてください。

成功してる人をみたら嫉妬していいし
いじわるされたら怒っていいし
誰かが逝ってしまったら悲しんでいい。

わたしも、とある女優さんが亡くなったというニュースをみて、しばらく呆然としてしまいました。

そして、彼女が出演している作品を見返しては、演技ではなく本心から悲しくてつらくて、ぽろぽろ泣いています。

やるべきことに忙殺されてしまうことも多いですが、たまには自分が感じているネガティブな感情を、よしよしするようなイメージで見つめる時間を持ってみてほしい。

見ないフリや心の奥底にしまい込まないでほしい。


こういうことも、セルフケアのひとつの形なんだと思います。




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