それぞれの仕事を受けるボーダー
もしかしたら、与えられる仕事ばかりしている人にはピンとこないかもしれないけれど
自分で仕事を受けている人には、それぞれの「仕事を受けるボーダー」があると思うの。
あんじゅ先生の場合、こうやってどんな時でも有償だよ!って宣言していて、かっこいいなと思った。
まぁ、彼女の工数を考えれば当たり前なんだけども。
私の場合も、書くことを仕事で受けるときは必ず自分の中で決めていることがある。
それは
・仕事が終わるまで熱量を切らさずに走り続けられるか
・仕事相手やコンテンツが好きかどうか
・何の見返りもなくてもやりたい!と思ったかどうか
この3つだ。
だから、金銭面でのボーダーはあんまりないんだけど、こういう仕事を振ってくれる相手は私が予想するよりも必ず多く支払ってくれるので、つまりはそういうことなんだと思っている。
逆に、タダで書いて欲しいなんてあからまさには言わないにしても、そういう風に交渉してこられる時点でアウトだ。
私は、noteもブログも自分の好きなことを書いていられる場所があって、まだまだ暮らせるほどじゃないけど小銭は稼げている。
だから、こういう私にお金を払ってでも書いて欲しいという熱量のある方たちとしか、仕事をしたくないの。
タダで書いて欲しいっていう人は、私よりも私の価値を低くみてるってことでしょ?そういう人たちと、いいお仕事なんて出来るわけないよね。
少なくとも、私よりも私に価値を感じてくれている人とじゃないと、私はイヤ。今後、大事にされないことが目に見えている。
タダで書くなら、私の好きなことを好きな場所で書かせてよ。
どうして、あなたたちの言うことをきかなきゃいけないの?って思ってしまう。
きっと、料理に例えるとわかりやすいのかな。
自分で美味しいと思った料理を、好きな人たちに食べてもらうのが趣味だとしたら、それを外のお客さんに食べさせる感じ。
そうすると、衛生面や盛り付けなどもっと気をつけなきゃいけないことが出てくる。
それは、つまり、お客さんへの配慮であり、クライアントからの注文だ。
その注文を受けた時点で、趣味だった料理は仕事になる。
やりたくてやっていることから、やらなければならないことに変わるの。
たとえ、最初は善意で受けていたことも、やらなければいけないことが増え、自分の仕事のボーダーを超えた瞬間、それは仕事へ変わる。
そうなったら、今までの熱量やスピードを維持するのは、正直難しい。
私の場合、料理作って!ご飯食べたい!と言われることが多いんだけど、相手はそれを「私の仕事」と思って発言していないんだよね、多くの場合。
友人だから、信頼関係があるから、タダで食べさせてくれて当然だと思ってるんだろうね。
冗談じゃない。
私が誰かにご飯を作るのは、バレンタインでもない限り仕事なの、タダじゃない!
善意であなたのためにご飯を作ってあげられるほど、私は人間が出来ていないし、お金に余裕もないし、そんな暇はない。
価値を感じているなら報酬を。
相手に動いて欲しいと思うなら
まずは目に見えるかたちで与えること。
頼む側の人は、すべてのことにコストがかかり、リソースが費やされていることを忘れないでほしい
なんて思う夜なのでした。
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