今度は私から、折り紙の金メダルを
そこそこ大人をやっていると、あの時ああしておけば良かったという後悔のひとつやふたつ、誰もが持っているはず。
もちろん、私もたくさんあって、思い出すたびに自分の不甲斐なさやダメ加減に落ち込んでいます。
中でも、看護師として忘れられない出来事
いや、忘れられない患者さんがいて
その季節になるたびに思い出しては
もう一度会えたら、必ず!
と、誓っていることがあります。
今回はそんなお話です。
私を、私だけを見てほしい
はじめに、患者さん、ご家族の心理として
病気なんだから優しくされて当たり前
こう思っている方が、とても多いです。
しかし実際、私たち医療従事者は
患者さんに痛い処置をしたり
これまでの生活習慣の改善指導をおこなうことが多いため
患者さんからみると
看護師さんって怖いな、と
思われることがあります。
ご家族から見ると
予想外の対応や私たちの厳しい物言いに
戸惑う方もいるでしょう。
そういう戸惑いや驚きを含め
もっと優しくして欲しい
私だけを特別扱いして欲しいという気持ちが
医療従事者に差し入れやお布施を渡す行為に変わります。
私が見たことあるケースでは
手術前に医師へ10万円を渡す
商品券やお歳暮を渡す、などは
1回や2回ではありませんでした。
大きな声では言えませんが
看護師だって退院前の患者さんから
ヨックモックのシガールを頂くのは
もはやデフォルト。
看護師になって9年になりますが
職場の休憩室にお菓子が途絶えたことはありません。
いつも、誰かが、何かをくれるんです。
(こうしてナースは太っていく)
多くの病院・施設では、差し入れやお布施をはじめ
お菓子やプレゼントは原則、受け取らない決まりになっています。
しかし、そこはマニュアルがあるようでない医療の世界。
うまくバレないように差し入れを頂くことなんて
採血よりも簡単なこと、だと個人的には思っています。
ここで、声を大にして言っておきたいのですが
お菓子や金品を頂いたからといって
その患者さんやご家族を贔屓・特別扱いすることは
絶対にありません。
医療法人は営利目的に経営してはいけませんし
そういうマインドで公平性に欠ける医療行為をしてはいけないと
学生時代からきつく叩き込まれています。
しかし
しかしですね
医療者も人間なので、その患者さんへの印象や
心情に影響を与えられることは避けられません。
私も何度か差し入れを受け取ったことがありますが
どうしても優しくなりますし
他の患者さんより気になるからベッドサイドへ出向きます。
だからこそ、ある患者さんから受け取れずに言われた
ねぇ、どうして受け取ってくれないの?
というセリフとあの表情が
一生忘れられそうにありません。
よくいる、90歳のおばあさんの緊急入院
彼女との出会いは
私がナースになって2年目の春。
名前は富田美冬さん(仮)、89歳の女性。
胃穿孔(いせんこう)といって胃に穴があいてしまい
その穴を塞ぐために緊急手術目的で搬送されてきました。
穿孔の理由は胃がん。
おそらく、痛みや吐き気がずっと続いていたはずなんですが
我慢して我慢した結果、胃の粘膜が破けてしまい
救急車を呼んだという経緯でした。
彼女の全身の状態、穿孔の具合や年齢
そして救命するということを優先させた結果
がんを取り切ることはせずに手術を終えてきました。
これは美冬さんも、彼女のご家族も納得された上での判断。
こういうケースは意外と多く
緊急で発見されたがんの治療や処置は
その時に終わらせるのではなく
もう一段階を踏むことが多いです。
理由は、救急車で搬送され
緊急手術をする患者さんの多くが
手術に臨む万全の体調ではないからです。
誰だって、インフルエンザの時に旅行に行かないですよね?
緊急入院で手術ってそんな感じ。
痛みを我慢し続けたせいで
美冬さんの身体はもう限界なんてとうに超えてました。
本人が思っているよりも全身への影響は大きく
がんをそのままにしておくことは
手術そのもので命を落とさないための
苦渋の決断でした。
手術から2週間。
手術の経過は順調。
だんだん歩けるようになり
徐々に点滴も減っていきます。
あんなにお腹がいたくなったの、生まれてはじめて!
この年でもはじめてのことってあるのね〜
と、徐々に笑顔を見せてくれるようになった美冬さん。
食事の形態もあがっていくはずでした。
けれども、それはできない身体だったんです。
思い出して欲しいのですが
彼女の病名は胃がん。
実は、がんが胃を圧迫しており
手術でお腹の中を確認した時には
腸へ流れるルートがほぼ寸断されているような状態でした。
その解決策として、手術で挿入されてきたのが
胃チューブという胃からお腹の外へ伸びた管。
口からものを食べても腸へ流れず
胃チューブから食べたものが出ていくという
ちょっと不思議な身体の状態になっていました。
もちろん、カツ丼など消化の悪いものをはじめ
胃チューブが詰まるようなものは食べられず
ゼリー食といって、噛みごたえのない食事しか
摂取してはいけなかったんです。
それだけではありません。
人間の栄養吸収は小腸で行われますが
美冬さんの今の身体の状態では
小腸での栄養吸収がまったくできません。
そこで、お腹から腸に直接挿入される
腸ろう(ちょうろう)と呼ばれる管から
栄養剤を流し込んでいました。
つまり、お腹に
・食べたものが外へ出るようの管
・栄養剤を流し込むようの管
2本の管がつねに刺さったままの状態だったんです。
当然、この身体でいる限り
毎日何らかのケアが必要な状態ですし
彼女は手術での全身へのダメージがひどく、外からは元気に見えても、採血上はインフルエンザの患者さんと同じようなデータでした。
点滴での抗生剤もなかなか効かず
結局、3ヶ月近く点滴を続ける毎日を送ったんです。
きっと、これが一番いいだろうという思い込み
長かった点滴がそろそろ終わりを迎えたころ
担当医が美冬さんのご家族を呼び
これからについて話をしました。
そろそろ穿孔に対しての治療が終わります。
胃チューブも腸ろうも抜けませんが
美冬さんの年齢・体力を考えると
もう一回手術をしてがんを取りきることは
リスクが高いと考えています。
胃チューブと腸ろうの管理をご家族にも練習していただき
そろそろ自宅へ帰る準備を始めてみませんか?
がんに関しては、症状が出現し始めたら
薬で対応するのがベターなのではないか
と我々は考えています。
年齢を考慮すると、がんに対しては手術など積極的な治療をしない方が
美冬さんの残された人生のためじゃないか、という思いです。
こんな内容でした。
担当医も同僚の看護師たちもこの意見に同意で
このまま何もしないことが美冬さんにとって一番いい
そう思っていたんです。
一方で、この話を聞いたご家族は
かなり困っておられました。
私たち家族は、先生の方針に賛成なのですが
おそらく本人は手術したいはずなんです。
皆さんの前では決して言いませんが
がんなら治してくれ!って思ってるんです。
華奢でかわいらしい感じの見た目をしていますが
ああ見えて根は頑固。
一度思い込んだら、絶対に曲げない人なので…
あさみさん、よかったら本人に聞いてみてくれませんか?
今後、どうしていきたいのかを。
そう、美冬さんは140cm、35キロという小柄な体型ながら
髪型は角刈り、シンプルなものが好きで、芯の強い女性でした。
それに、私は美冬さんのプライマリーナース。
プライマリーナースとは、1人の看護師が一貫性をもってケアにあたるために用いられる看護師の受け持ち制度のこと。日勤夜勤問わず、私が勤務する時には美冬さんが必ず担当でついているので、必然的に接触頻度があがります。一番彼女の情報を持っている、かつ、信頼されているのは私だったんです。
仕事をしやすくするためという理由も、もちろんありますが、単純にもっと美冬さんが知りたかった。
早く元気になって欲しかったし、手術をするしない関わらず、最期まで美冬さんらしい人生を全うしてほしいと心から願っていました。
そう、私は日々の関わりを通して美冬さんとそのご家族を、ひとりの患者さん以上にひとりの人間として大好きになっていたんです。
そんなある日の勤務終わり。
美冬さんへ、こう尋ねました。
美冬さん、このままおうちへ帰りたいですか、と。
こんな姿、人間じゃない
みるみるうちに、美冬さんの表情が険しくなっていきます。
こんな姿でうちへ帰れですって?
冗談じゃありませんよ。
こんな姿、私じゃない。
管が2本もお腹から飛び出てるなんて
人間じゃないわよ。
あなたたちは、90のおばあさんが助かっただけで奇跡と思ってるかもしれないけど、私はまだまだ生きたいの。
がんがあるんでしょ?
それならば、治して欲しいと思うのが人間でしょ。
手術して取ってちょうだい。
できるんでしょ?
治してちょうだいよ。
それでダメ諦めるから。
いままでずっと穏やかだった彼女からは想像もつかない強い口調、真剣な眼差し、そして、怒りと悲しみが溶けあったような声色をしていました。
美冬さんの忌憚のない意見。
これを聞いて、わたしは誰もがもっている生きたいという欲求を忘れていたことを思い出します。
同時に、このまま何もしない方が美冬さんのためと思いこんでいた自分をとても恥ずかしいと思いました。
その人の人生はその人のもの。
医療従事者であっても
患者さんの人生を代わってあげることはできません。
それはみな、変わらないんです。
私は彼女の話を同僚へ
そして、担当医へ伝えました。
それから数日。
医師、看護師、美冬さん、そしてご家族。
話し合いの結果、1週間後に再手術が決定します。
当然ですが、他の事例よりもリスクが高いケース。
担当医も脅すつもりはないにせよ
手術によって死亡する可能性は十分にある
と、本人・ご家族に明言するほどでした。
医療だって、人生をより良くするための手段のひとつ
そうそう。
この話し合いで、私からひとつだけ提案をしました。
それは
点滴管理を中心静脈管理にして欲しいということ。
順に説明していきますね。
従来、点滴といえば腕に刺すものですよね。
点滴が漏れたり、腫れたりしたら針を差し替える
という管理の方法をとります。
一般成人の手術で、1週間以上の長期絶食を強いられない限り、普通は腕からの点滴で退院まで過ごすことができます。
しかし、これまでの点滴のせいで美冬さんの腕はぼろぼろの状態でした。内出血と腫れがひかず、色は赤と紫のまだらに。二の腕から手の甲までDVに遭った人のような状態だったんです。
採血用の血管も探すのが難しく、看護師でダメな時は医師にお願いして鼠径(女性の下着のラインあたり)の動脈から採血してもらっていました。
再手術となれば、また点滴の日々が始まります。
けれどもう、彼女の腕に点滴を刺せるような血管はありません。
ここで登場するのが、中心静脈管理というもの。
中心静脈(多くが首の脇や鎖骨の下の血管)という太い静脈に挿入する点滴方法で、感染を起こしたり、本人が引き抜いたりしない限り、一度挿入したらずっと留置しておけるもの。
つまり、針を刺したり抜いたりしなくていいんです。
リスクがあるとすれば、中心静脈という名の通り、太い静脈に管を留置するのでそこから感染を起こしたりすれば全身の状態に影響します。それを契機にして亡くなる人もいるくらい。
しかし、美冬さんの場合、再手術というチャレンジそのもののリスクが高く、長期の絶飲食(飲み食いできないこと)が見込まれたため、妥当な提案として担当医からもOKが出ました。
担当医からも
点滴の指示がなくなるまで
CV(中心静脈管理)はそのままにしましょう。
と、美冬さん・ご家族へ説明されていました。
ここでちょっとお話しておきたいんですが
多くの患者さんやご家族が
手術のために
検査のために
処置のために
痛みや苦しみを我慢してしまうことが多いです。
しかし医療は本来、その人を健やかに、そして人生をより良くするためにあるものです。
だから、医療を受けること自体が目的ではありません。
医療を受けることで、その人らしい暮らしをとり戻し、健やかな毎日を送ることが本来の目的であるため、医療はあくまでも手段の一つなんです。
そのため、出来るだけ痛くない方法を選んだり、治療の調整をすることは手段の選択。今回の美冬さんのケースも、中心静脈管理を選択しただけにすぎません。
90歳のおばあさんではなく、「美冬さん」をみるということ
どうして、私がここまで彼女のために頑張れたのか
当時はわかならなかったんですが
最近になって、ようやく言葉にできるようになりました。
私は美冬さんと出会ってはじめて
患者さんも物語のあるひとりの人間
ということを知ったんです。
それまでは、恥ずかしながら胃がんの70歳男性、大腸がんの80歳女性としか患者さんをみれていませんでした。
点滴をまわって、お小水やパックに溜まった体液を捨てて、検温を回ったらもうお昼。手術や検査や処置のタイミングがブッキングするなんて日常茶飯事。当時の私の口癖は、分身したい!でした。
より良いケアとは?なんか考える暇もないほど日々の業務に忙殺され、患者さんをひとりの人間ではなく、病気のかたまりでしかみれていなかったんです。
けれども、私は美冬さんのプライマリーナース。接触頻度が多いのは然りですし、彼女のご家族とも関わる機会が多かったんです。
そうすると、病気やデータには反映されない
美冬さんの物語が見えてきました。
子どもの頃から華奢な身体が嫌いだったこと。
ご主人とは職場で出会ったこと。
ご主人はカッコよくて、自分をとても愛してくれたこと。
子どもが欲しかったけれど、なかなか恵まれなかったこと。
それが原因で住んでいる地域から村八分にあったこと。
それで引っ越しを何度も繰り返したこと。
今の息子はご主人の兄の子、つまり甥にあたり、兄夫婦からの勧めもあり養子として引き取ったこと。
ご主人は何年も前に旅立ってしまったこと。
それでも、家と財産を残してくれたおかげで不自由ない暮らしをしていること。
息子(甥)が本当にいい子に育ったこと。
息子の奥さんも子どもも孫も、美冬さんの自慢であること。
話を聞いていくうちに、私は自分が看護師であることを忘れて、美冬さんの家族の一員のような感覚になっていました。
それでも私の本来の役割は看護師。話を聞いて得た情報はカルテに残して、スタッフに共有していきます。
息子さんやお孫さんのスケジュールを入手できると、病院に来れるタイミングもわかります。「◯日に息子さんがくるので介護保険について案内をしてください」と、チームとして適切に対応できることへも繋がっていくんです。
いつしか、勤務終わりに美冬さんのベッドサイドをたずねて、これまでのこと、これからのこと、たまに私の仕事の愚痴をお話するのが習慣に。
その時の上司からは、いつまで話してるの!もう早く帰りなさい!!と怒られていたのが、今となってはいい思い出です。
90歳の誕生日プレゼント
再手術をひかえた、ある晩のこと。
息子さんをはじめ息子さんの奥様、お孫さん、ひ孫さんたちが
病室に勢揃いしました。
何事かしら?と思った瞬間
美冬さん、お誕生日おめでとう!
と、お祝いが始まりました。
ひ孫さんからはプレセントも。
それは、折り紙で作られた金色のメダル。
ひ孫さん、ベッドが高くて美冬さんの首に届かないので
お母さんに抱っこされて美冬さんに金メダルをかけていました。
本当は鰻を差し入れしたかったけど、今はプリンみたいなものしか食べられないから、とそばで息子さんがこっそり教えてくれました。
美冬さんは、もう今までに見たことがないくらいの笑顔。
金メダルを顔の横にもってきて、いつでも写真を撮ってもらってOK!
という表情をしています。
そうそう、ご家族みなさん、美冬さんをおばあちゃんではなく美冬さんと呼んでいたんです。
彼女の気品溢れる佇まいにはぴったりでしたし、おそらく実際には血の繋がりのない彼女に対しての、息子さんはじめご家族からの配慮だったと思われます。
それに、もしかしたら、今年が美冬さんにとっての最後の誕生日になるかもしれない。誰も口には出しませんでしたが、その場の雰囲気はどこか尊さがありました。
そんな中、美冬さんから
あさみさんも、こっちにきて。
と、私の首にも、その金メダルをかけてくれたんです。
ご家族の中で、いち看護師である私が金メダルをかけてもらうのは非常におこがましい気持ちでしたが、もう我慢できませんでした。その場の輪の中に入ることができて、なんとも言えない幸せな気持ち。
この仕事を選んでよかった!と思えた瞬間でした。
私に金メダルがかけられてるのを見て
美冬さんもご家族もニコニコ。
廊下を通ったスタッフも
私をみてニコニコしています。
こういう瞬間がもっと、ずっと、続いてほしい。
素直にそう思った瞬間でした。
さぁ、手術は明後日です。
美冬さん、再びの手術へ
手術当日の朝。
美冬さん、ご家族は晴れやかな表情の一方で
担当医は浮かない顔をしています。
手術前のレントゲン、CT、造影の検査で
がんが思ったよりも進行していることがわかったためです。
がんが取りきれるかどうか
美冬さんの体力がもつかどうか
とても微妙なラインでしたが
もう引き返すわけにはいきません。
美冬さんの願いは
がんを切りとって
管のない姿で自宅に帰ること
願いを叶えるための手段
美冬さんの手術が始まります。
===
場面は変わって手術後の説明シーン。
医師からご家族へ、結果が伝えられました。
手術は一応、成功しています。
しかし、美冬さんのがんは、胃だけではなく
小腸の一部、胆のうにも転移していました。
取れるところはすべて取りきっていますが
がんという病気、相手は細胞です。
いつ再発するかは、正直僕たちにもわかりません。
それに、年齢を考慮すると
この手術ができたことだけでも奇跡です。
仮に再発したら
もう手術は難しいでしょう。
ひとまず、美冬さんが元気になって
自宅に帰れるようにサポートしていきます。
補足をすると
おそらく見えない部分にがんが転移しており
いずれ、なんらかのかたちで再発する可能性が高い。
その時は、積極的な治療は難しいでしょう
というのが医師たちの見解でした。
私も手術中の写真をみせてもらいましたが
お腹の状態、凄まじいものでした。
上記の内容は、もちろん美冬さんへも伝えられます。
そう…そうなのね。
でも、また口からちゃんとしたご飯が食べられるんでしょう?
もう、ゼリー食はこりごり。
がんが取れたなら、それでいいわ
術後の経過は順調。
彼女は持ち前のタフさと努力で
リハビリも頑張ります。
懸念だった、食事摂取の経過も良好。
ごはんっておいしいわね…!!
と、もぐもぐ食べている美冬さんをみて
私まで嬉しくなりました。
最初の手術で入院してから、実に5ヶ月。
ついに、退院の日取りが決定。
しかし、私と美冬さんは
これから新たな戦いのフェーズへ突入します。
受け取る、受け取らない戦争
退院が1週間にせまってきた、ある日。
あさみさん、ちょっと…!
と、美冬さんが手招きしてきました。
なんだろうと思い、ベッドサイドへ近づくと
手の中に隠していたお布施を
私の白衣のポケットの中に入れようとしてきました。
パッと見ると、ポチ袋の中には3万円が入っているように見えます。
当時、私は看護師2年目。
お布施やほどこしについての経験がほぼなく
患者さんから金品をいただくことは絶対にいけないこと
そう思って疑いませんでした。
あさみ:そういうのは受け取ってはいけないんです!
美冬さん:どうして?あさみさん、とってもよくしてくれたじゃない
あさみ:受け取ると、他の患者さんへの看護にも優劣が出てしまうのでダメなんです。
美冬さん:ケチね…!
ここで思い出して欲しいのが、美冬さんの性格。
頑固で、一度言い出したら聞かない、でしたよね?
言行一致はもちろん、この場面にもあらわれます。
何度も私の白衣をつかんで
ポケットの中めがけてポチ袋を入れようと
いや、ねじこもうとしてきます。
あさみ:ダメなんです!
美冬さん:いや、受け取ってちょうだい!!
しまいには、息子さんを使って
なんとか私に受け取らせようとしてきます。
もちろん、私は丁重にお断りします。
何度か戦いを繰り返したのち
美冬さんが真面目な顔になってこう言いました。
ねぇ、どうして受け取ってくれないの?
あさみさんは、それに見合うことをしてくれたじゃない。
その姿勢や働きに対する、私からのお礼なの。
どうか、受け取ってちょうだい。
これを受け取ることが
美冬さんにとっての最善のケアになる。
今なら間違いなくそう思えるのに、当時の私は
・上司や同僚にバレたらどうしよう
・受け取ることで、今後公平なケアが提供できなくなるのでは
・お金を受け取るなんて汚らわしい、医療職のマインドとして歪んでる
こう思ってしまい
結局、最後まで受け取ることができませんでした。
あっという間に、退院の日。
美冬さんは、病棟スタッフと名残惜しそうに談笑しています。
もうみんな顔見知りで
チームの違う看護師もみんな見送りに集合です。
退院したくない!
ずっとここにいたい!!
と、美冬さんは駄々をこねてまるで子どものよう。
師長と話をしている時は
次第に目がうるうるして
息子さんからハンドタオルを奪って
くしゃくしゃに使っていました。
それを見ながら、私はなんて言葉をかけようか悩んでいましたが
元気で。身体を大事にね。
と、美冬さんから言ってくれたので、私も
美冬さんも、お元気で。
お大事にしてください。
そう言ったあと、しっかり握手をして
私たちはさよならをしました。
爽やかな秋晴れの日でした。
2年後
私は、看護師4年目となり
後輩もできてやっと1人前に。
まだまだ業務に忙殺されつつありましたが、それでも、1人の人間としての患者さんと向き合う楽しさに夢中になっている時期でもありました。
そんな、ある日。
日勤がそろそろ終わりを迎えるころ、美冬さんの担当医だった医師が病棟にやってきました。
美冬さんって、覚えてる?
もう、この一言ですべてわかりました。
◯◯病院につとめてる友人の医者が教えてくれたんだ。
先日、緩和ケア病棟で亡くなったって。
残胃がん(手術で残した部分の再発)だったそうだ。
緩和ケア病棟へ入院してくる時も
いろいろ調べて、本人がここ!といって入院してきたらしい。
美冬さんらしいよね。
亡くなった日も、息子さんやお孫さん、ひ孫さんに囲まれて
それはそれは穏やかな最期だったと言っていたよ。
プライマリーナースだった君には伝えておきたくてね。
私は知らせを聞いて悲しいと思うよりも前に、美冬さんらしい人生を全うできたようでほんとよかった…!と、心の底から思いました。
補足をしておくと
緩和ケア病棟への入院条件には
以下のようなものがあります。
(各医療機関によって詳細はさまざまです)
・患者本人へ病気、余命の告知がおこなわれていること
・入院できる病気はがん末期患者、もしくはAIDS発症患者のみ
・予想される余命がだいたい半年以内の患者
このことから、緩和ケア病棟に入院するには、患者も家族もそれ相応の覚悟が必要なことがわかります。おそらく美冬さんは、自身の状態をきちんと理解し、私はここで死ぬんだという覚悟を持って入院したのでしょう。
不思議と悲しい気持ちになることはなく
爽やかであたたかい気持ちのまま
私は、その日、病棟をあとにしました。
ただ、家に帰ってから
じわじわとあの時の後悔がよぎります。
なんで私は、あの時受け取れなかったんだろう、と。
自分を赦せる自分になること
ここで念押ししておきたいのですが、私は医療従事者がお布施や金品を受け取ることを推奨したい訳ではありません。
誰もが、安心して安全な医療、そしてケアを受けられることが日本の医療の素晴らしい点です。
しかし、それは同時に、医師や看護師の個別性が評価されにくく、いくら相手にケアを超えたサービス領域の価値を提供しても、それが対価として返ってくるわけではない、ということでもあります。
看護師の中には業務だけを遂行し、一般の業種でいうサービスに値しないケアを提供している人もいます。
ちなみに、医療はすべてレセプトと呼ばれる診療報酬で計算されます。新人ナースがもたもたしながらとった採血も、ベテランナースが2分でとった採血も、診療報酬という点からいえば同じです。
ただ、患者さんが抱く価値は異なるはず。
それを埋める手段として、お布施を渡す・受け取るという文化が秘密裏に継承されていってるのではないかというのが私の考えです。
それから。
私が、看護師2年目の時点で
美冬さんからお布施を受け取れなかった理由。
それは、私自身が美冬さんに提供した価値を十分に理解できていなかったこと、自分を肯定するマインドが低かったこと、この2つが原因でした。
1つめの価値提供。
思い返せば、日勤も夜勤も勤務終わりには必ず美冬さんの元へ話を聞きにいっていましたし、息子さんやお孫さんのメンタルケア、介護保険やその他施設の情報提供と説明、レセプトでは評価されないケアマネージャーや訪問看護師との連絡調整など
レセプトには反映されないところで、見えないところで、私は美冬さんのためを思ったケアをたくさん提供していたんですね。
ある意味、感覚が麻痺していたのだと思いますが、医療業界の外に出るとこれらがクライアントやお客さんへの立派な価値提供だったということが、今なら理解できます。
私は、美冬さんにケア以上の価値を提供していたんです。
そして、2つめの自分を肯定するマインド。
上の提供する価値とも関連しますが、私は看護師としての自己肯定感が極端に低かったです。
まだ2年目で、先輩みたいにスムーズに業務はできない、採血も点滴も成功率が低いし、自分がやっているケアに自信がない。
病棟では褒められることも喜ばれることも少なく、できるのが当たり前という文化。できなかったり遅かったりすると、医師からは怒られるし、先輩からはため息、患者さんからはクレームが飛んできます。
いかに怒られないように
相手に不快感を与えないように
仕事をするか
これしか考えられていませんでした。
これでは、私自身が安心して働くことができませんし、自信に繋がる経験値をためることも難しい。そんな中で、自分を肯定するなんて私にはできませんでした。
けれども、それでは近いうちに必ず限界がきます。
そこで、私は自分で自分をケアすることを最優先にしたんです。
・看護の仕事の中で、できたことは褒める
・人からの優しさや善意は全力で受け取る
・病院から外に出て、普段の自分とは違う部分を肯定してくれるコミュニティに所属する
・私を否定するような人や環境とは距離をおく
そうしていった結果、徐々に自分で自分を認められるようになって、それが自信に繋がっていき、自分には恐れ多いと思えるほどの優しさや善意が訪れてもまずは受け取るということができるようになったんです。
だから今、もし美冬さんが目の前に現れたら
迷いなくお布施を受け取れると思います。
受け取るに値するケアを提供したと
受け取ってもいい私であると
自分で自分を赦せるようになっているからです。
もう一度逢えたら
少し先の話になりますが
私には天国で逢いたい人リストがあります。
亡くなった肉親をはじめ、もう一度逢いたい友人・知人、出会ってきた患者さんがずらりとリストアップされています。
美冬さんは、その中でもトップオブトップ。
肉親の次に逢いたい人です。
もう一度、美冬さんに逢えたら
まずは、あの時お布施を受け取れなかったことを謝りたいな。
受け取るべきだったと
受け取ることが美冬さんのためだったと
受け取るべき価値を提供した私であったと
そう思えます。
そして、入院中の思い出話に花を咲かせたいです。
採血と点滴、何度も失敗してごめんね
お腹の管が詰まって夜中に緊急でレントゲンにいったよね
トイレの中で尻餅をついてたこともあったね、って。
そう話し合いながら、美冬さんの首へかけてあげたいです。
今度は私から、折り紙の金メダルを。
貴重な時間を使い、最後まで記事を読んでくださりどうもありがとうございます。頂いたサポートは書籍の購入や食材など勉強代として使わせていただきます。もっとnoteを楽しんでいきます!!