もやもやが空高くのぼっていくのをみた日の話
やりたいのにできない、そんな毎日
本当はもっとクオリティを上げたい。
なのに、上司から早く納品しろ!と言われて
渋々入稿するコンテンツ。
今日は大事なプレゼンなのに
こんな日に限って子どもが39℃の発熱。
会社どうしよう…保育園ムリかなぁ…
あぁ、どうしよう!
働く多くの大人たちが
こんな思いを一度は経験したことあるはず。
できること
やれること
やりたいこと
やらなくちゃいけないこと
理想と現実、目標とタスクの波に揉まれて
溺れないようするのが精一杯。
そうして、また、朝が来る。
これは仕事の分野が医療に変わっても同じ。
私たち看護師も、同じようなジレンマを抱えています。
マニュアルを守ると遅いと言われ
マニュアルを守らず患者さんを優先すると
マニュアルを守っていないと怒られる。
それを証明するかのように
看護師の研究テーマで多いのもジレンマなんです。
一方、医師に関するジレンマの研究はあまり進んでいません。
それよりも、患者を助ける研究の方がはるかに有益ですし
臨床からのニーズも高いからです。
しかし、実際は
手術しても抗がん剤をやっても再発するがん細胞
労働基準法から遠く離れた働き方
どんなにわかりやすく説明しても理解してくれない患者
指示した通りに動いてくれない周りのスタッフ
大学病院よりも自由診療の方が儲かるという仕組み、など
医師たちも根深く多様なジレンマを抱えながら仕事をしています。
そんな、ある日の夜勤中。
亡くなった患者さんのカルテをアーカイブ
(もう書き込みが出来ないよう処理すること)
しようとしたところ
私はあるカルテから目が離せなくなりました。
それはある医師が書いたカルテ。
ジレンマを抱える医師がそれを解決するための
一番いい方法を見つけた気がしました。
そして、これはもやもやした気持ちをはじめ
ジレンマを抱えるすべての人の答えになってくれるものだ
そう、確信しました。
少しだけお付き合いください。
患者の北山さんと、担当医の大木先生
話はさかのぼって、7年前。
当時、私は看護師3年目。
新人と違って、できることが増えてくる時期。
同時に、自分の理想と目の前の現実に
もがく時期でもありました。
患者さんとさらにいい人間関係を築きたい。
もっと話したい、知りたい、情報を集めたいと思うと
残業が多過ぎると怒られ
患者さんへこれからに向けての真実を伝えたいのに
家族からかわいそうだから、と止められる。
毎日こんなことばかり。
どうして、やりたいことができないの?
やり場のないもどかしさをいつも抱えていました。
そんなモヤモヤしている日々の中
担当していた患者さんに
北山さん(仮)という患者さんがいました。
大腸がんの再発を繰り返し膀胱や肝臓に転移。
抗がん剤を繰り返すもがんは拡大するばかり。
どんどん身体は弱っていき
症状緩和の方針となっていました。
北山さん、実は私が看護師2年目の頃から知る患者さん。
病棟スタッフも顔見知りで
常連なんて言いたくないけど
また来ちゃった。よろしくね〜!
と、入院当初は冗談を言えるような人でした。
けれども、がんは残酷。
次第に北山さんの冗談が減り、笑顔が減り
表情そのものまで奪っていきます。
がんによる直接的な症状ではありませんが
症状やこの先への不安から不眠症を引き起こし
抑うつ状態になってしまいました。
夜は睡眠薬を飲んでも眠れず
日中も虚ろな目をして過ごす毎日。
なにか処置やケアをすると
必ずありがとうと言ってくれる人でしたが
その声もどんどん小さくなっていきました。
そんな北山さんの担当医は、外科の大木先生
今回の話のもう1人の主人公です。
患者さん思いの優しい先生、と一言で言うのは簡単ですが
先生の場合は必ず行動が伴っていました。
病院にいる日は、手術や検査でどんなに予定が立て込んでいても
自分の担当患者さんのベッドサイドへ必ず出向いて話をする。
もちろん、北山さんも例外ではありません。
たまに、緊急の手術や処置のせいで
病棟に来る時間が遅くなってしまうと
こんな時間になっちゃったよ。
北山さんもう寝ちゃったよね、変わりない?
と、看護師に聞いてきます。
容体が変わらないと何もカルテを書かなかったり
前日のカルテをコピペして終わらせる先生が多い中
大木先生は、患者さんの容体が変わらなくても
必ず毎日カルテを書いていました。
そういう姿勢や行動が看護師からの信頼を集め
外科で困ったら大木先生へ、という暗黙の了解が出来上がっているほど。
でも、そんな先生にも勝てないものがありました。
外科医が治せない病気、それは
北山さんの具合がだんだん悪くなり
ありがとうも言えなくなってきた頃
手術で患者さんを治してあげたくて外科医になったのに
いつも負けてばっかりだよ。
どうして、がんは治せないんだろうね。
私がカルテを書いてる隣で、大木先生がポツリと呟きます。
この言葉を聞いて
外科医の苦悩が凝縮されているな、と思いました。
診療科が違えど外科医になった先生たちは
自分の技術で、自分の手で
患者さんを助けたいと志し、医師になった人たちです。
なのに
がんという病気は
医師のプライドをいとも簡単に引き裂きます。
がんは細胞の病気。
だから、レントゲンやCTなどの検査で
目で見えるような状態になった時ではもう遅いんです。
処置で焼いても
手術で切っても
どんなに強い抗がん剤を投与しても
がん細胞は血管やリンパを通り抜けて
生き抜こうとします。
そして再発。
努力は必ず報われる、という言葉がありますが
こと医療に関しては、この言葉がまったく役に立ちません。
費用対効果なんて考えたら頭がおかしくなりうそう。
努力は実を結ばないし
チャンスの神様は前髪どころかつるっぱげなので掴めないし
患者さんといい関係を築いてもそれは刹那的なもので
どんなに時間をかけても、尽力しても
患者さんを100%助けることはできません。
追い討ちをかけるように
大学病院に勤務する医者は
過酷な勤務体制で働いています。
朝から手術をして
夕方からは病棟の患者さんの対応
薬や注射の指示を出し、それからカンファレンス。
残っているカルテと書類をさばきながら
そのまま当直(夜勤)勤務へ突入。
当直中も病棟看護師からの相談や依頼に対応し
急患がきたら何時であっても処置や手術に入ります。
合間の時間を使って自身の研究データや論文を書いていたら
もう朝日が…!
あと、1時間後にはまた違う患者さんの手術
といった具合です。
もはや自宅などいらないのでは…?と思えるような
勤務体制で働く医師たち。
身体的な疲労はもちろん
努力が報われないという敗北感や虚無感は
精神的にかなりの負荷がかかります。
医師だけではなく
医療従事者の離職率が高いのは
こういう理由もあるでしょう。
仕事へのやりがいよりも
報われない、結果が出ないということが
自分を消耗させてしまい
離職や退職に向かわせていきます。
===
大木先生ががんに勝てないとつぶやいてから1週間後。
北山さんは息を引き取ります。
ここでも、当直中は他の医師にお看取りの確認を委ねるのが多い中
大木先生は自宅から駆けつけてくれました。
呼吸、心臓の鼓動、目の反射がないことを確認し
ご家族に北山さんが亡くなったことを告げます。
ナースステーションに戻り
先生が死亡診断書を書く姿は
とても疲れているように見えました。
それから1ヶ月後。
私は北山さんの記録をアーカイブしようと
カルテを開いた時に
大木先生のカルテに目が釘付けとなります。
大木先生の最後のカルテ
そこには大木先生が亡くなった北山さんに対して
こう書いていました。
北山さん、がんとの戦いお疲れ様でした。
天国ではしっかり眠れて、笑顔を取り戻しているでしょうか。
がんが再発しても、トラブルが起こっても
北山さんが前を向いて過ごす姿に僕も勇気付けられました。
ご冥福をお祈りいたします。
大木
カルテというよりまるで手紙のようで
心がじわじわ溶けていくような
不思議な感覚に陥りました。
それから、女の勘がピーンとはたらいて
今まで大木先生が担当していた患者さん
かつ、もう亡くなってしまった患者さんを検索しました。
予想通り、亡くなった自分の担当患者すべてに対して
大木先生は手紙のようなカルテを残していました。
そこには先生の本音が、そして、生きている間は伝えられなかった葛藤がつまっていて、読み進めていくうちに、目頭も胸もだんだん熱くなっていきます。
ちなみに、亡くなった患者さんのカルテって
基本的に誰も読みません。
病院は生きている人に向き合う場所。
亡くなった人にフォーカスする場所ではないんです。
研究で使うことがあっても
それは採血やレントゲン、手術のデータだけ。
その患者さんがどんな人で
どんな人生を歩んだのか
どんな物語を紡いできたのかなんて
誰も振り返りません。
でも、大木先生のカルテをみてから
そういうところにスポットライトがあたったような気がして
なんだかあたたかい気持ちになりました。
夜勤中、深夜4時の出来事でした。
読まれない文章を書くことの意味とは
いったん、整理したいのですが
大木先生がしたことは私たちを感動させることではありません。
自身のジレンマを解消するために
自分の気持ちや考えをいったん言葉にしてアウトプットし
自分と切り離すことで、ジレンマをお見送りしたんだと思っています。
ここで、誰からも読まれない文章を書いても
意味ないじゃん!と言う人がいるかもしれませんが
今回の件で、はっきりそうじゃないと言えます。
先生は、なんのためにあのカルテを書いたのでしょう。
北山さんのため?
看護師のため?
いいえ、違います。
先生は北山さんのためではなく
自分の心の整理のためにあのカルテを書いたんです。
ストレスをはじめ、ジレンマやもやもやを
自分の中に溜めてめておくことは
決していいことではありません。
うつや適応障害などの精神的な病気は
気持ちや考えを出すこと、出し方がうまくいかず
自分の中でぐるぐる溜めてしまった結果
引き起こされる病気です。
便秘は詰まっていることが実感としてわかりますが
気持ちや考えは目に見えません。
でも、自分の中に溜め続けていたら
自分の頭と心がやられてしまいます。
だから、まずは外に出すこと。
外に出す、一番簡単な方法が
書くことなんです。
友人や知人に話す、という方法もありますが
話を聞く方も結構大変ですよね。
だって、愚痴ですもん。
けれども、書くことは自分1人で完結できます。
しかも、ペンと紙があれば、スマホがあれば
すぐに始めることができます。
私は、大木先生が自分をジレンマから守るために
こういう方法を取っているということを知って
とてもホッとしました。
始めることよりも、終わらせることを
言葉にすること
そして
書くことがなぜ大事なのか。
それは自分の気持ちや葛藤を
自分で終わらせられるから、なんです。
さきほど、便秘の話をしましたが
私たちの細胞ってある程度時間が経つと
自然と終わるようにプログラムされています。
髪やまつげは抜けるし
爪は伸びるから切るし
皮膚も毎日ターンオーバーして
生まれ変わっています。
では、頭の中はどうでしょうか。
心の中は…?
自覚できないまま
気持ちや考えがどんどん溜まっていくのは
ヘルシーなこととは言えませんよね。
しかも、そういうのって
いいことよりも悪いことの方が多い。
だから、目に見えるかたちで出すこと
イコール、書くことがとても大事。
日記やブログが続くのには
こういう理由もあるなと思っています。
書くことは、自分を助けてくれる一番の味方になる
と、ここまで長々語ってきましたが
Dr.ゆうすけさんが実に端的にツイートしています。
私たちは日々、たくさんのインプットをしています。
それは言葉による情報だったり
テレビやスマホの映像だったり
人と関わる中での感情だったり
しかし、それらをすべて引き連れて
ずっと生きていくことはできません。
ご飯を食べ過ぎるとお腹いっぱいになるように
頭や心も情報や感情でいっぱいになってしまいます。
だから、言葉にして外に出してみて欲しい。
自分と引き離して、ちゃんと終わらせてください。
書くことはそれを叶えるための
もっとも簡単な方法なんです。
書くことが億劫な人もいるかもしれませんが
まずは、やってみて。
文句を言うならそれから。
小論文で0点を取ったことのある私が言うんだから大丈夫。
自分で、自分が守れるようになります。
書くということが
あなたにとって強い味方になってくれると信じて。
そして、北山さんと大木先生へ。
書くこと、その意味について考える機会をいただいて
本当に感謝しています。
ありがとうございました。
ナースあさみ
貴重な時間を使い、最後まで記事を読んでくださりどうもありがとうございます。頂いたサポートは書籍の購入や食材など勉強代として使わせていただきます。もっとnoteを楽しんでいきます!!