正解のないことに向き合い続けるということ
看護師は、その仕事内容から
ジレンマや葛藤を抱くことが多いと言われている。
自分の理想と現実のギャップが
そうしたものを産んでしまうのだろう。
真面目な人ほど、たくさん抱え、潰れてしまう。
そういう人を何人も見てきた。
きっと、私の場合は「わたし」と「あなた」の境界をはっきりさせているので、ジレンマや葛藤とうまく付き合えてるんじゃないかと思う。
けれども、この前ひさびさに
ちょっともやっとすることがあった。
Aさんは、80代の女性。
自宅で転倒してしまい、リハビリのために入院してきた。
幸い骨折はしていなかったものの、痛みとパーソナルスペースがベッドしかない空間にどんどんADL(日常生活動作)が落ちていき、いまは誰かの支えがないと歩けない。
くわえて、単調な入院生活の中で認知機能もどんどん低下し、認知症という診断までついてしまった。
今いる場所がわからない
自分の持ち物かどうかわからない
ご飯を食べたか覚えていない
毎日こんな具合だ。
正直、私も仕事じゃないとこういう人には優しくできない。
死ぬまでこれが続くんじゃ、こっちの気が狂いそうになる。
何年かに一度、子どもが同居していた認知症の親をDV、もしくは、殺してしまうニュースが出るけれど、わからないでもないというのが正直なところ。
そんな彼女、先日退院が決まった。
もといた自宅に帰るらしい。
ただ、主介護者となる嫁からの条件はこうだった。
そうきたか、というのが私の素直な感想だった。
まず、週7日のデイサービスなんて聞いたことない。
子育てをしている親が、毎日子どもを保育園に預けるの?みたいなことだ。
一応、自宅での介護では補えないときのデイサービス、という位置付けなのだが、これじゃまるで逆転だ。
つまり、嫁はAさんの介護にとても消極的ということがわかる。
そして、夜は睡眠薬で眠らせて…のくだりだが、Aさんの尊厳の視点からいうと損なわれていると言える。
せっかくリハビリをして、自分で立って座れるまで動けるようになったのに、これじゃ努力が水の泡。しかも、本人が内服したいかどうかわからない薬を飲まされて寝かされるのだ。
ちょっとこれはどうなの…?と思う方が大半だと思うが、ここで視点を嫁へうつしてみよう。
Aさんは、とても頻尿だ。
夜中も、1時間おきにトイレに起きる。
なのに、半分以上が空振り。
つまり、尿意だけで排尿はしないということ。
介護者としては、やってられない。
いくらひとりで起きられるとはいえ、支えがないと歩けない彼女がスムーズにひとりでトイレに行くことなんて、もはや奇跡。
ひとりだと骨折してしまう。
骨折したら入院、そして手術。
どんどん動けなくなり、どんどんボケていく。
だから、Aさんがトイレに起きるたび、嫁も起きてトイレに付き添い、転んだりベッドから落ちたりしないかどうか、ケアしないといけない。
いつ終わるかわからない、その日までずっと。
だったら、Aさんに睡眠薬を飲ませて、たとえ失禁してもいいから朝までぐっすり寝てもらいおむつを交換したほうが、介護の効率ははるかにいい。
Aさんだって、しっかり眠れるから1日のリズムも整う。
さぁ、この背景を知ったうえで
それでも睡眠薬を飲ませずに、都度Aさんをトイレまで歩かせたほうがいいと、100%の確信をもって言えるだろうか?
臨床では、こういう倫理的な問題が都心のコンビニのような感覚で頻発する。
Aさんの立場
嫁の立場
医師の立場
看護師の立場
見える景色、妥当とする着地点は大きく異なる。
ここで、もう少し背景について補足したい。
3日に1回くらいの頻度で、嫁はAさんをお見舞いにきていた。
でも、そこに会話らしい会話は、ほとんどない。
嫁は、淡々と洗濯してきたものを棚につめ
食べこぼしや排泄物で汚染された洗濯物を持って帰る。
お見舞いといっても3分くらいの出来事なのだ。
たまにAさんの息子、つまり嫁の夫がお見舞いにくるが、いつもAさんと口論している。
このあたりで、元気なときからAさんと嫁の関係性が良いものではなかったことがわかる。若い頃、相当お嫁さんをいじめていたらしい。
そして、施設にいれたい息子と嫁に対し、自宅に帰りたいAさんという構図。
お金の面だけで言えば、施設に入所させるよりも自宅で介護したほうが安い。とても安い。
けれども、お金がかかってもいいから施設に入ってほしい息子と嫁、という意思も垣間見える。
そして、息子はAさんの介護に一切手を出さないスタンスであることも伺える。
多くの男性がそうだけれど、まず一家の大黒柱であることが多い。仕事を辞められないのだ。
そして、年老いた親の下の世話を俺がするなんて…と無意識で思っている。嫁がいる人は、嫁がするものだと思っている人も多い。
嫁本人でさえも。
だから、嫁が自宅退院に出した条件
これは、3人の暮らしが成立するギリギリの着地点だった、ということが私にはわかった。嫁としては、これが最大の譲歩だったのだろう。
Aさんをはじめ、3人が一応は納得した着地点なのだから、それに向かって最大限にサポートするのが私たち看護師の仕事だ。
けれども
朝、睡眠薬が残っているせいか、虚な目で左右に身体が揺れながら朝ごはんを食べているAさんを見ていると
本当にこれでいいの?
これが、Aさんにとっての最適解なの?
Aさんの尊厳が保たれてると、本当に言える?
と、私の中のナイチンゲールが厳しい目でこっちを見てくる。
学生の頃は、誰かが提示してくれる正解にたどり着けば、それでよかった。
なのに
大人になったら
社会に出たら
自分で正解を探さないといけないし
それが本当に正解なのかどうも
自分で決めていかなくてはいけない。
私が働いている臨床という場は、特にその傾向が強い。
一応、治療や療養の「正解」らしきものはあるものの、それがすべての人に適応するかと言えば違うし、いわゆるインチキ治療がその人にとって救いになることもある。
どれが間違っていて
どれが合っているか
その病気によって
その状況によって
その人の立場や役割によって
ころころ変わる。
もう、正解なんてないんじゃないかと思う。
夏の蜃気楼みたい。
今回のAさんの事例、自宅退院への条件は嫁側にシフトしていると思う。
けれども、関係性のよくない義母の、排泄物で汚染された服や下着を洗っているのは彼女だ。
飲み込みやすいように、食べやすいように食材や調理法を考えてご飯を作っていくのも彼女。
デイサービスのお迎えとお見送りのために、車椅子にAさんをのせて家の前まで運ぶのも、彼女。
これが正解だったと言えるよう、努力していくプロセスがAさん、嫁、息子を救ってくれるだろうし
私たちも救ってくれると期待してしまう。
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