わたしの中にギャルを飼う
以前、知人と話しているとき
仕事において「楽しい」が優先されるなんて
考えたことがない
とセリフが出てきて、びっくりしたことがあります。
働くことにおいて大事な要素はいろいろありますが、わたしは中でも「楽しい」が最優先だと思っているからです。
きっと、知人は楽しさよりも
・成果を出すこと
・年収が高いこと
・福利厚生がしっかりしていること
あたりの優先順位が高いんでしょう。
わたしの中では趣味やナースあさみとしての活動も、すべて楽しさが最優先です。
楽しくないことは、やりません。
直近の楽しかった企画はこちらですかね。
これ、みんなにつき立てのお餅を食べてほしいという利他的な動機ではなく、わたしがつき立てのお餅を食べたいな、食べる過程を楽しみたいなと思って企画したものです。
つきたてのお餅1kgをひとりで消費するのは、食いしん坊のわたしでもさすがに食べきれないですしね。
この、楽しさを優先するということ、なかなかうまく言語化できずにいたんですが、わたしの中にギャルを飼うということで一旦落ち着いたので、自分の頭を整理する意味でもその要素や背景を残しておきます。
ギャルとは
わたしが考えるギャルは
リーダーシップがあること
感情と行動がセットになっていること
自他境界が明瞭なこと
自分の中で美学があること
ビジュアルやマインドのイメージはこちら
りぼんっ子あつまれ!という気持ち
ひとつずつ、説明してみます。
リーダーシップがあること
まずは、こちら。
ほら、あとからくっついてるギャルってあんまりいないでしょう?
みんな、能動的で自律的。
リーダーシップについては、このあたりの書籍が好きです。
リーダーシップと言うと、グループのリーダーとか学級委員長みたいなものをイメージする人が多いと思うんですが、ここで述べられてるリーダーシップはちょっと違います。
自分事として仕事や生活と向き合い、能動的に生きていこうねって話をしているように、わたしは感じました。
採用基準のリーダーの4要素がわかりやすいので、わたしの場合は?を説明してみます。
目標を掲げる
仕事だと、必ず目標がありますよね。病院も警察も一般企業もそう。問題を解決するために商品やサービスやインフラがある。評価するためは目標がないと。
わたしの場合は、申し送りが終わったあとに一緒に働くメンバーに今日も楽しくがんばりましょうって言うことが多いですね。
わたしは楽しさを優先して働きます!と暗に宣言しておくことで、わたしの仕事における優先順位の順番を理解してもらおうという狙いです。
もちろん、これは人によって違うので
・とにかく早く帰りたい
・自分のペースを守りたい
・患者の安全が第一
など、日々の業務や雑談の中でそれぞれの優先順位を理解しておくことが望ましいんじゃないかな、と思います。
先頭を走る
突っ走る感じもしますが、まずはやってみるくらいのスタンスですね。
わたしの話だと、職場の休憩室に置いてあるポットを、夜のあいだだけナースステーション近くに置くことを文化として根付かせました。
それまで、お茶やスープを飲みたいなと思ったら、いちいち休憩室までいってお湯を沸かして飲んでたんです。
時間も体力も貴重な資源
バカバカしいにも程があるだろ!と思ったわたしは、夜だけナースステーションに持ってくることを実践しました。許可や同意を得ていては永遠に変わらないので、まずはやってしまう。
違ってたりマズかったりしたら、注意されたり怒られたりするので、それからの軌道修正でいいなと思ったんですよね。
ネットで間違ったことを発信したら、炎上したりコメント欄が荒れたりするのと一緒。勝手に自浄作用が起こるので、それを待てばいいと思ったんですね。
結果は、1ヶ月くらいで文化として根付きました。今では他のスタッフが、消灯したらポットをナースステーションまで運んでくれるほどです。
わたしがいないときも、夜勤中、ポットはナースステーションにあるようです。やったね。
決める
決めること、いろんな解釈や考え方があると思いますが、わたしは仕事でも生活でも、句読点を打つことだと思っています。
友達との会話はダラダラと続けられるけれど、文章を書くとき、それは通用しないですよね。
ある程度、文章を区切っていかないと、マルを用いて文章を終わらせていかないと、次に進めません。
看護の仕事でいうと、問題に対してどういうマルを打つか、解決するのかどうかを決め続けているイメージですね。
もちろん、看護にできることなんてほんの少ししかないんですが、それでもなにかできることがあるんじゃないか……!と、手と頭を動かし続ける。やってみて評価して記録する、このターンが何度も繰り返されています。
伝える
わたしは、楽しいの優先順位が高いです!
と、相手に理解して貰えるように伝え続けることに時間と手間と労力をかけ続けています。
もちろん、すべての人に受容して貰えるわけではありませんが、理解はして貰えるような。
あ、わたしはそうではないけれど、あさみさんは、楽しく仕事をしたいんだね、という。ドライかもしれませんが、所詮同僚なので、それくらいの関係値でよいと思っています。
それから補足を。
巻き込む力こそ、リーダーシップの要素では?と考えてる人もいるかもしれませんが、わたしはそう思いません。
楽しさに人が寄ってくる、というほうが自然発生的な気がしています。鰻を焼いてる匂いがすると、人が吸い寄せられるでしょ?あんな感じ。
みんな、自分で自分を楽しませる方法や術を知らないので、楽しんでる人に吸い寄せられてしまうような構図、という感じでしょうか。
ただ、楽しい場って、自分も楽しいエネルギーをその場に還元しないと、ずっとはいられないんです。鰻だって、においはタダだけど食べようとしたらお金を払わないといけないですよね。義務を果たしていないような錯角に陥る。
そのため、たとえ人を巻き込むことに成功したとしても、それを維持するためにはまた違ったアプローチが必要だよね、という考えです。
感情と行動をセットにする
うれしいときは、うれしい振る舞いを
イライラしているときは、イライラした振る舞いを
これ、社会で生きる大人は結構難しい気がするんですが、わたしはある時からあんまり気にしなくなりました。
感情と行動をズラすと疲れるんですよ。
心と身体のベクトルが合っていないの。
これを仕事にしてるのが、俳優さんじゃないですか。わたし、俳優さんじゃないから、そこまでずらさなくていいなと思ったんですよね。キャバクラとかホストの人もそう。相手に優しくすることが仕事じゃん。
一方で、看護算定には優しさ代とか慮り料は入ってないですからね。
必要以上にやんなくていいのよ。給料に上乗せされないんだから。
そのため、患者さんやその家族にも、取り繕ってニコニコしたりしません。怒ったりイライラしたりしていることを、そのまま伝えることもあります。
これまでに何度も説明しましたよね?(怒)とか
食器は投げるもんじゃありません!(怒)とか
それ、いまじゃないとダメですか?(いま採血中なんだが、イライラ)とか
大人気ないと言われるかもしれませんが、これやってるとメンタル病みません。だって、心と身体がズレてないから。
行きたくないのに会社にいくとか
言いたくないのに発言するとか
こういう端的な言葉の裏には、みんな押し殺している感情がたくさんあります。その感情たちの行き先がないから、自分の中で腐敗したり不完全燃焼したりしてしまい、心身に不調が出やすくなるとわたしは思っています。
だから、感情と行動のベクトルを揃えてみませんか?と、提案したいです。周りがどうとか、世間がどうとかより、まずは自分だろ、と。
自他境界が明瞭であること
最近の言葉でいうと、バウンダリーになるのかな。
周りの人の気分や振る舞いに巻き込まれなくていいんですよ。
わたしを例に出すと、勤務中に患者が逝去しても休憩中に「水曜どうでしょう」見て爆笑してますからね。
これ、一見するとサイコパスにうつるかもしれませんが、患者が逝去したことは看護師であるわたしに影響しても、プライベートのわたしにはまったく影響しないんですよ。別の世界の出来事なのね。
もちろん、影響するときもありますが、それは何年も入退院を繰り返していたような、プライベートのわたしとも関係値があったような患者の場合だけね。
悪いけど、患者が逝去するたびに落ち込んでいたら。この仕事やってられないですね。想像ですが、電車の事故処理班の方とか、最高裁の方とか、死刑執行人にあたる方も、自他境界がしっかりわかれていると思います。
みんな、ヘビーな仕事が終わったあと、おいしくごはんを食べれるような人たちばかりかと。
このことを考えてるときに出てくるビジュアルが、たらの白子
この時期、たらの白子がスーパーの魚売り場に並び始めると思うんですが、よくみてみるとうずうずの境界がはっきりわかるものと、でろんでろんになっているものと、あると思うんです。
境界が明瞭なもののほうが鮮度が良くておいしい。
でろんでろんのほうは20%引のシールが貼っているようなやつね。
これは、そのままわたしたちのマインドにも言えるんじゃないでしょうか。
ぷりぷりで境界が明瞭な白子を目指しましょうよ。
そのほうが、自分の含めて各方面にヘルシーでいられると思うんです。
自分の中で美学(コンセプト)があること
ギャルは、やっぱこれなのよ。
譲れない何かがあるの。
やりたいことよりも、やりたくないことのほうが明確なのね。
池袋ウェストゲートパークでいうところのこれね。
わたしで言うと、看護のときに使っている(偽りの)優しさをSNSでも振り撒いて、傾聴サービスとか承認欲求を受け止めるコンテンツを提供すれば、簡単に稼げると思うんです。需要が安定していそうだし、わたしもそんなに苦ではない。
でも、これはわたしの美学が許さないの。
稼げるかもしれないし、わたしにとっては苦じゃないかもしれないけど、楽しくないんですよ。誰が好き好んでメンヘラの話をずっと聞きたいと思います?もうさ、そういうのは臨床でおなかいっぱいなのよ。
だったら、わたしが楽しいことをしたいんです。
料理に関してもそう。ずっと好きでい続けたい、楽しんでいたいので、仕事にしないと決めています。
家事代行サービスも楽しかったけど、いまやるなら手取りで3時間15000円くらい頂かないと割に合わないな、と思っています。高いと思われるかもしれないけど、みんなだいたい話を聞いてほしいから私に話かけてくるし、自分や家族の健康相談してきますからね。
作り置きおかずを作りながら、健康相談にのりながら、3時間相手を承認し続けると思えば、最低これぐらいでは?と思っています。
楽しい努力に勝るものなし
ここまで読んでいただけたら、わたしが仕事において「楽しい」を最優先している背景がおわかりいただけたかと思います。
楽しいを優先すること
そんなに悪くないと思いませんか?
わたし、いま、がんばっていることが2つあるんですが、楽しむための工夫を惜しみなくしています。
料理も裁縫も書くこともそう。
楽しむための努力を今も惜しみません。
お金も時間も自分の体力もたくさん使うものですもの。
できるだけ生産性をあげたいし、無駄なことに使いたくない。
それは、感情も一緒じゃありませんか?
感情だって、大事な資源のひとつです。
楽しい努力は、そのうち努力と感じなくなっていくところが魔法だと思っています。
これは、訓練すれば誰でもできることだと思うので、みなさんもぜひ、自分で自分に魔法をかけてみてほしいです。
楽しいは、最強だよ。