「産む気もないのに生理かよ」を読んで

友人の著書を読んだ。

ポッドキャストも人気みたい。
わかる気がする。

見事な言語化で、わたし自身の意見も言葉にしておいてみるか、という気分になったので感想を残してみる。

前提として、母になるすべての女性を尊敬しつつも、わたしはそれに価値を見出せないままでいて、この先も子どもを持つという選択をしない種族だと思って話を聞いてほしい。


  • ゴリラ女という表現、すげぇ笑った。文中にあったゴリラ女は、仕事も育児も趣味もすごく頑張っている人という意味だったように思う。ほんと女性社会の中では、上には上にゴリラがいる。わたしの中のトップオブゴリラは美容家の神崎恵である。仕事も家庭も子どもも趣味も全部叶えて、みんなどこを目指してるんだろうね?伝説になりたいの?

  • 経済的にも精神的にも自立してしまうと、たくさんの選択肢があるなかで、パートナーシップや出産にしあわせを見出す機会が減る。だって、他にも楽しいこと、自己実現できることがあるんだもの。しかも、相手や子どもはどんなに努力しても、わたしが100%コントロールすることはできない。それが、醍醐味であり楽しさであるのかもしれないけれど、それだったら、わたしはその楽しみを他の領域や場面で使いたいと思ってしまった。

  • わたしは、わたしのお金と時間を自由に使うことが、人生における最も優先度の高い事案。だから、妊娠出産育児の優先度は、必然的に下がる。わたしにとっては、相対的に価値の低いことになってしまう。しゃーないね。

  • 母という役割に救われている人がいるのも知っている。定年を迎えた男性がこれまでの仕事の立場や役割に固執するように、自分のアイデンティティを証明するのに、「母」しかない人たちもいるのだ。そりゃ、子どもをコントロールしようとするよねという気持ちもわかるが、基本的に依存的な人が好きじゃないので、もっと自立しろやと思ってしまうね……

  • 著者であるつっきーちゃんは、社会に対しての申し訳なさを感じている場面がいくつかあることを書いていたけど、わたしは申し訳なさを感じない。わたしは、わたしだし、子持ちは子持ちだ。それぞれに意思決定し、それぞれの今があるのだから、それでいいのだ。

  • ケア職についてしまったことも、わたしの子どもいらない思想の要因のひとつだと思っている。自分以外の誰かの面倒を見ることは、仕事なのだ。それが、愛するパートナーや子どもであっても。自分以外の誰かの面倒を見ることは、誰かに対する思いやりや助ける気持ちを育むきっかけでもあるのはわかるけど、でも!タダで仕事はできない、と思ってしまうわたしもいる。その証拠に、蒲田でゲロの中寝てるサラリーマンをみてもなんとも思わないし助けない。ゲロで窒息すんなよ~と思いながら素通りする。だって、そういう気分じゃないもの。契約外になったら意外と薄情な医療従事者は、そこそこいると思う。

  • 災害時に人に優しくなれるのは、短期で終わるとわかっているから。これが年単位で続く関係になったら、優しさをいつまで維持できるか、わたしもわからない。


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