珈琲とお茶
まず前提として言うと私は珈琲も好きですが筋金入りのお茶(日本の緑茶)好きです。言うまでもなく珈琲より断然お茶です。この先一生どちらかだけを飲めと言われれば200%お茶を選びます。
なぜ珈琲は外でお金払ってお店で飲む文化がこれだけ根付いたか理由は日本人にとって珈琲がお茶に比べたら遥かに馴染みが少ない新しい食文化だからと考えてます。
違う言い方をするとおそらく殆どの日本人は幼少期からお茶に慣れ親しんでいて一人一人自分なりにお茶の基準ができていると思います。それぞれの家庭ごとに行きつけの街のお茶屋さんがあったり、代々好んで買う産地があったり。お茶として重要視する要素がある人には色の濃さであったり、ある人には渋みの強さであったり、ある人には香りの高さであったり。つまり少なくとも自分が好きなお茶の味、美味しいと思うお茶の味を知っています。
ところが珈琲の場合はお父さんお母さんのどちらかが熱烈な珈琲ファンでもない限り物心ついた時には常に家の中に珈琲の香りがしてたような体験を持つ日本人は少ないのではないかと思います。おそらく多くの人が珈琲を飲み始めるのは早くてティーンネイジャー頃なのでお茶と比べると歴の長さはだいぶ差がつきます。
ちなみに私は昭和50年生まれですが子供の頃は珈琲はカフェインが多いから子供は飲んじゃ駄目と言われ飲みたくても飲む機会は尚更多くありませんでした。実は緑茶の方がカフェイン含有量は多いのに当時はそんな科学的データがあまり知られてなかったわけです。たぶん世代があまり変わらない人たちは身に覚えがある話に感じるのではないでしょうか。
その結果、ハンドドリップにしろコーヒーメーカーを使うにしろ自分で珈琲を淹れる方法はそれなりに知っていて実際に淹れることはあっても、その珈琲が本当に美味しいものなのかどうか確信が薄いと思います。言ってしまえば自分が美味しいと感じればそれは美味しいものなのですが、正しい淹れ方、ベストな淹れ方をしているのか自信がないと言った方がいいかもしれません。
その点、街の喫茶店やカフェは商売で珈琲を淹れて売っているプロですから正しい知識と技術で美味しい珈琲を淹れるものだと盲目的・反射的に考える日本人は少なくないと思います。飲食業は全般に言えることですが自分ではできないこと、家ではできないことだからお金を払ってプロの知識と技術を買おうという心理になるわけです。
そして多くの日本人はお茶の淹れ方を知っていて、その方法について大きな自信はないとしてもそれ自体がごく当たり前の普通の作業であり、少なくとも問題はないと感じていると思います。そこに理論はありませんが、あまりにも日常に溶け込んだ作業であるため疑いを持つ要因が少ないのだと言えます。
じゃあそういった日本人がお金を払ってまでお店が淹れるお茶なんか飲まないかと言えば決してそんなことはないと思います。多くの人はごくごく日常の作業としてなんとなくお茶を淹れてなんとなく美味しいと思って飲んでます。仮に理論として何度のお湯を注いで何秒蒸らすといった方法を知っていても毎回きっちりその通りにお茶を淹れてる人はそういないでしょう。そこを何かしら確固たる理論のもと、毎回きちんとした方法でお茶を淹れてくれるお店があれば美味しいお茶が飲めるという安心感や期待値が高まり、お金を払っても飲もうという人が必ずいます。
少し昔は缶入り、今はペットボトルのお茶が非常に普及してしてますが、それは自分で淹れるのが面倒な人が簡易だから買ったり、出先でもいつでもお茶が飲みたいから普段は自分で淹れるお茶の代用として買ったり、おそらく多くのケースは淹れるお茶より美味しいからというのが理由で買っているわけではありません。
私の場合、やや大袈裟な表現ですが、水分としては一日中常にお茶を飲んでいたいくらいです。自分で淹れたお茶の方が市販品より美味しいと思うので、自分で淹れてボトルに入れて持ち歩きたいのはやまやまですが、忙しいとその手間をかけている余裕がなかったり、荷物を増やしたり重くしたくなかったりでその手段を実践することは少ないです。だからもし出先でたまたま入ったカフェが拘りを感じるお店で珈琲とお茶がラインナップにあったら迷わずお茶を選びます(もちろん珈琲を飲みたい気分の時もあるでしょうが)。お金で買う商品である以上、自分の淹れるお茶と少なくとも互角以上のお茶を飲めるという安心感があるからです。無論結果満足いかなければ二回目はありませんがそれは珈琲とて同じことです。
カフェで珈琲を選ぶのが当たり前なのは珈琲がメインの商品だからです。他に選択肢がないからと言ってもいいかもしれません。ところがそこに脇役ではなく珈琲と同列でお茶のラインナップがあったらどうでしょう。かなりの割合で多くの日本人がお茶を選ぶんじゃないかなと思います。それだけお茶は日本人に愛されています。
10年以上前ですがタリーズジャパンがKOOTSというお茶専門店を出した時は本当に嬉しくてよく通ったものです。残念ながらビジネスとしては伸びず撤退してしまったのですが、当時はまだスタバなど外国の珈琲文化に(言葉は悪いですが)浮かれている日本人が多く、ごく日常的なお茶に関心を持たなかったせいだと考えています。珈琲がごく当たり前の日常的なものとして日本人の生活に浸透しきった今なら、インバウンドなど当てにせずとも日本人を相手に珈琲と同列にお茶を商品として売れる時代に入っていると思えます。