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ツンデレなんて存在しないこの世界で

 いい大人になってもまだツンデレが好きな人が地球上に一人くらいいると信じたいのです。

 学生の時、それはもうツンデレが好きでした。
「好きなタイプは?」と聞かれて
「ツンデレ!」とノータイムで答えるくらいには。

 もちろん質問者はそんな回答は求めていないわけで
「そういうのじゃなくて笑」と言われるわけですが。

 でも、本気で好きでした。ツンデレ。

「ニセコイ」の千棘
「ハヤテのごとく!」のヒナギク
「僕は友達が少ない」の星奈
「バカとテストと召喚獣」の美波

 あげたらキリがありません。でもそれは昔の話で、僕はもう現実世界にツンデレなどいないことを分かっています。分かってしまいました。

「あんたのことなんて大嫌いなんだからね!」
とか言われたら普通に傷つくってことを。

「あんたのことなんか別に好きじゃないし!」
って言われたら普通に落ち込むことを。

 言われたことないけど。


 時が流れ、いつしか僕はツンデレに対して
(あー、ツンデレだ笑)と思うようになっていました。
 要素や設定の一つとしてどこか冷めた目で見てしまっているのです。悲しいことです。

 らき☆すたに白石みのるというアニオリキャラがいるんですが、彼がツンデレに対してかなり鋭い指摘をしています。

『ツンデレ』という語が誕生した2002年…。
ネット上での事でしたが、その際掲げられた定義とは『最初はツンツン、やがてデレデレ』。
そう! つまり、時間経過による心境の変化を指し示すものだったのです!
それが今ではまるでキャラクターの二面性を示す言葉…。すなわち『表面上はツンツン、本心はデレデレ』のように理解されてしまっています。

敢えて断言しよう!
それは明らかな誤謬であると!
我々は今こそ『ツンデレ』の真の意味を回復し、この堕落した言語文化に警鐘を鳴らさねばならないのです!
立てよ国民!

アニメ「らき☆すた」10話「願望」より

 指摘の内容ではなく「ツンデレ」に対しての彼の姿勢。これを僕は見習わなければなりません。

 アニメや漫画に出てくる登場人物たちはいわば別次元の存在です。
 残念ながら悪と正義に見せかけた悪が横行し、魑魅魍魎が跋扈するこちら側の次元に住まう僕らは、トラックに轢かれるとかそういったことをしないと次元は超えられないと一般的には言われていますよね。

 そんな悲しく辛い世界に住まう僕たちには
「ツンデレ(笑)」
 などと言って冷笑している余裕はないのです。

「ツンデレだ!!!!うおおおおお!!!」
 とSNSの濁流に大声で叫ぶ。最早これしか残っていないのです。


 何が言いたいかと言うと、こうした要素や設定、別次元の出来事を「本気で楽しむ」ということが大人の嗜みではないだろうか、ということです。

 だいたいニューヨークから転校してきた金髪碧眼美少女(CV:東山奈央)と恋人のフリをするとか、自分が仕えているお嬢様の憧れの存在で1年生の時から生徒会長(CV:伊藤静)に実は好意を寄せられているとか、理事長の一人娘(CV:伊藤かな恵)で金髪碧眼、容姿端麗、成績優秀で学年首席と同じ部活動になるとか、ドイツの帰国子女(CV:水橋かおり)だから問題文を読めなくてFクラスにいる黄色いリボンが特徴的な子とかね

多分いねえよ!!

 でも、そんなこと分かって僕らは楽しんでるんじゃなかったでしたっけ?だからそうじゃない人に「お前は寝てろ」って1話で言ってたんじゃなかったですか?

 だから多分「ツンデレ」もこちらの次元にはいないのでしょう。

 でもそんなことどうでもいいのです
 彼女たちが画面の中で喋って動く、それを見てオタクの僕らが喜ぶ。
 ただそれだけで、いいのです。


「五等分の花嫁」
という漫画があります。
僕はアニメから入ったのですが、この作品がそれはもう本当におもしろくて当時職場のオタク仲間の先輩たちと誰が良いかという議論で盛り上がったものです。

 映画化もされた名作で5人姉妹(みんなかわいい)とのラブコメを描いたものなのですが、その中に中野二乃というキャラクターがいます。
 5人姉妹ラブコメという個性の殴り合いバトルロワイアルの頂上決戦みたいな設定なので、こういうところでは必ずと言っていいほど必要とされるもののきっと優勝することはできないであろう、いわゆる「ツンデレキャラ」の彼女。
 その彼女の屈指の名シーンがこちらです。

 いい大人になった僕が、再びツンデレに目覚める瞬間でした。


いい大人になってもまだツンデレ好きな人が地球上に一人くらいいるって言ったわよね
それが私よ残念だったわね

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