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短編小説「1979年の宇宙人」
道路をはさんで大学正門の真向いにヤナギヤはあった。1階が洋菓子屋で2階が喫茶店になっている。テーブルのいくつかの天板には当時はやりのインベーダーゲームがついていて、学生たちは降りてくる宇宙人に夢中で弾を打つ。斎藤君は宇宙人が嫌いなので、彼らが攻めてこない席に座る。店員が水を運んできたので彼はコーヒーを頼んで佐伯さんを待った。
10分ほどぼんやりしていると、ピンクのベレー帽をかぶりピンクのハーフコートを羽織って、彼女は店に入ってきた。いつもと全く違って派手ないでたちだ。化粧もしているように見える。斎藤君の方は相変わらずのGパン(デニム)と水色のスタジアムジャンパーという当時の大学ファッションだった。金もないので床屋へも行かずぼさぼさの長髪のままだ。
佐伯さんは何も言わず斎藤君の前に座って、後ろからついてきた店員にココアを注文する。彼はとっさに言葉を発する。
「どうしたの、そのかっこう。」
「今日は初めて一対一で先輩に会うからオシャレしてみたんです。変ですか。」と彼女が尋ねる。
「いや、いいと思う。逆に自分が適当な格好で申し訳ないな。」
「先輩は先輩らしくていいと思います。いつも通りで。」
今日は、ESS(English Speaking Society)の先輩と後輩が一対一で話をする日だった。サークルがまじめな雰囲気を失っていることを心配した、7年生の長老が提案した企画だった。長老は「これからの活動をどうするか、考えてみろ。」と息巻いていた。
「このサークルは遊びが多いよね。もっと英語をやらなくては。」と同意してから、そのあとは自分の好きな音楽とか本や映画の話になってしまった。
その数日後、長老が実家に帰っているのをいいことに、サークルボックスで酒を飲むことになった。またもや英語の勉強は後回しになる。近くの店で酒やつまみを調達した。飲み始めてすぐ、相当騒がしくなる。アルコールが入ってみんが本音を言う。「もっと楽しくやりましょうよ、先輩。」と斎藤君にからんでくるメンバーもいる。“I’d like to enjoy college life.” と酔った女の子がシャウトする。計15名程度のメンバーがわけもなく異常に盛り上がっている。サークルボックスという異空間で酒を飲んでいるせいかもしれない。
喧噪の中、突然、佐伯さんが泣きながら斎藤君の腕をつかむ。「私、・・・さんに・・・私・・・先輩・・・抱きつか・・・」よく聞こえないけれど、なんとなく事情は分かった。彼は酔った頭で考えていたが、どうにも答えようがない。みんな酔っぱらっていた。そんな中、飲みすぎた彼は外へ出て草むらに寝転がって眠ってしまったようだ。そして、翌日から三日間ひどい風邪で寝込んでしまった。
風邪からようやく立ち直ったとき、佐伯さんが訪ねてきた。そのとき斎藤君は寝転んで本を読んでいた。ヘミングウェイの短編集だ。酒場で働く給仕が悲しみを語る場面を読んでいた。すべては無だ、と給仕が叫ぶ。
「先輩、風邪はどうですか。」
「もう元気だよ。」
「先輩、そんな風にして一人本を読んでいて、寂しくないですか。」
「いや、寂しくない。」
「そうですか。」
「うん、本を読むのが好きだから。」
彼女の話し方は少し遠慮がちだ。初めて彼の部屋に来たからだろうか。それも夜の10時過ぎに突然やってきた。何かよほどの問題がありそうだ、と彼は感じた。
「私、○○君に好きだと言われました。」
「彼はいい奴だよ。あのコンパ(飲み会)でも活躍したよね。」と素直に答えた。
そのあと少しだけ世間話をした後、彼女は「さようなら」と小さな声で言って部屋を出る。「送るよ、佐伯さん」と言うが,止まることもなく出て行ってしまう。後を追ってみたが無駄だった。
外へ出るとひどく寒く、見上げるとそこには満天の星があった。心奪われてその場にたたずんでいるとき、斎藤君はUFOを見たような気がした。宇宙人のことを考えながら部屋に戻って、すんなりとヘミングウェイの世界に入っていった。