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「今」だからこそ(2)
命は限りあるものだと認めなければならない。
死ぬことですべては闇の中へ向かう。
死は無を意味している。
それでもなお、ヘミングウェイは、七十時間に、七十年に劣らぬほど豊富な人生を生きることは不可能ではない、と言った。
死と隣り合わせの戦争。
猛牛の角に最大の集中力を求められる闘牛。
生き残ろうとする大魚に挑む釣り。
ヘミングウェイは、そのような人の営みには、人生の虚しさを忘れさせる要素がある、と考えた。
すべては無に帰すという考えを消してくれる、瞬時の精神の高揚があることを知っていた。
虚無感が消えることはない。
それは、どうせ死ぬのだからと、絶えず人の心を行き交うものである。
ヘミングウェイは、老人の話を書く。
閉店時間を超えて酒場にしがみついている老人がいる。
老人には、帰るべき清潔で明るい場所がない。
酒場のウエイターは老人の姿に人生の虚しさを重ねる
さらにもう一つ、老人の話。
不屈の眼を持つヤンキースファンの老人は、巨大なカジキマグロと格闘する。
大魚を獲得するが、サメにすべて食べられてしまう。
港へ戻り、師匠と仰ぐ少年が見守る中、老人は深い眠りに落ちる。
そして、ライオンの夢を見ている。
人生は諦めるものではなく、追求するべきものだ。
しかし、現実はやはり厳しい。
ヘミングウェイは、自宅での闘病中、散弾銃を自らに向けた。
死の間際、彼の脳内イメージは、やはり、格闘する百獣の王であったと信じたい。
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