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「相馬」という名もなきバラ

2011年の3月11日以降、
どのTVチャンネルでもエンドレスのように流れる津波や原発の映像。
そこで連呼される『相馬』という街の名。

相馬は私の祖父母の家があり、
東京に生まれ育った私にとって、
初めて天の川を見たのも、
図鑑でしか知らなかった虫をつかまえたのも、
子供時代の楽しかった思い出のいっぱい詰まった土地だった。

福島は知っていても、相馬という街を初めて知った人も多いだろう。
あの日以降、
相馬=原発というイメージが多くの人に植え付けられていくようで、
とても悲しくなった。
そして、ふと思い出した。
祖父が作った『相馬』というバラの事。
新しく出来たバラの名前を付ける時に、
名字をつけたかったそうだがそれでは海外の人が発音しづらいだろうと、
縁のある地『相馬』という名前にしたと。
相馬と聞いて、
原発ではなくバラの事を思い出してくれたらどんなにいいだろうと、
まだ余震の続く中、SNSで何気につぶやいた。
すると、
そのつぶやきを見たオーストラリアのフォロワーさんからリプライが。

『鎌倉でまだ咲いているみたいだよ』


驚いた。
祖父はもう20年以上前に亡くなっており、
そのバラが今も現存するとは思って無かったからだ。

バラの咲く時期に合わせ、震災から数ヶ月後に鎌倉へ向かった。
色とりどりのバラが咲きほこる中で、
人目を引くわけでもなくひっそりと『相馬』は咲いていた。
まるで亡くなった祖父に会ったような気がして、
その時から私の中で新たな想いがふくらみはじめていた。

自分でも育ててみたい。
そしていつかまた福島の地に咲いてくれたらと。


改めて調べなおしてみると、
バラはファッションのように流行り廃りが激しく、
人気が無くなったものはどんどん淘汰されて行くという事。
40年近く前に作られた『相馬』は、
クラシカルで大振りで、
今となってはちょっと野暮ったく、
もう固有種としては絶滅寸前だという事。

事情を知った友人たちの協力により、
100年以上続くバラ園に1株だけ残っているのがわかった。
以前は大きなバラ園だったけれど、
高齢化に伴い規模を縮小し、バラの種類もかなり減らしたそうだが、
バラ園の老婦人が『相馬』が好きだからという理由で、
1株だけ残してあったという小さな小さな奇跡。

バラ園を訪ね、事情を話し苗を作っていただき、
友人たちにも里親になってもらった。
でも、
当初、少しでもこのバラが相馬の地で咲いて欲しいと思っていたけれど、
時と共に、それは単なる自分の感傷とエゴのような気がしてきた。

どこかの庭で咲き、
道ゆく人がふと足を止め、見てくれるだけでいいのではないか。
名前も所縁もいらない。
それが花として、
四季の移ろいとして、
ただそれだけでいいのではないか。

いつかこのバラも固有種として淘汰され絶滅するかもしれない。
『相馬』というバラの過程を知っている最後の1人として、
どこかに書き残しておくのが私の役目のような気がした。

何かのきっかけで、
『相馬』というバラのことを知りたくなった人が、
たまたまこのnoteにたどり着くのも面白いかもしれないと思いながら。


追記1:祖父亡き後、
『相馬』は相馬バラ会の登録になるも、相馬バラ会はもう無い。

追記2:『相馬』で登録されていたと記憶しているが、
ひらがなの『そうま』と表記されているところも。