凡庸な自分が侵される病
昨夜飯田橋ギンレイホールで映画を観た。
徒歩30分弱にあるので、歩くのが好きな私にとっては好立地な映画館だ。
映画を観るとき、私はその作品のオフィシャルサイトに掲載される「著名人からのコメント」を読んでから行きがちだ。
昨日見た映画も、鈴木涼美のコメントにクスッとしたので足を運んだ。
本を購入するときも同様だ。帯の推薦文章や解説に感動してから会計カウンターに持っていくことがよくある。
なんなら作品そのものよりも、解説や書評の方が印象に残っている本も少なくない。
好きな解説や書評をまとめて一冊の本にしたいくらいだ。そしてそれを誰かにクールな文章で解説してもらいたい。
誰かの魂に呼応するように紡がれた短い文章ってグッとくるんだよね。
Twitterもきっとそういうことなのかもしれないな、とふと思った。
短い言葉で想いや考えをまとめ上げて、皆の共感をさらっていく文章ってあるもんな。思わず笑って吹き出しちゃったり、もらい泣きしたくなるような現実を発信しているツイートにもよく出会う。
意外にも、プロの映画監督が映画を撮ったり小説家が物語を書く以上に、命懸けでTwitterと向き合っている人が世の中には多く存在するのかもしれない。
それらの言葉を真正面から受け止めてみると、Twitterを眺めているだけで、いとも簡単に自分自身の心の機微を感じ取ることができるのかも。
てゆーか、私はどんだけ心のざわつきを求めて生きているのであろうか。。
日々感動したい病に侵されている。 贅沢者めが。
月曜日なので久しぶりに飲み会へ行ってこうと思います。