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「言えなくてよかった」かもしれない一言たちのこと。起こるすべてが「ちょうどいい」こと。

「山岡さんは、発信をするでしょう
 あれ、えらいとおもうよ
 準備しなきゃいけないし
 どんな反応がくるかもわかんないし」

と職場の人からコメントをもらって
私はなんでそれをするようになったんだっけなぁと
考えてみた

もって生まれた性格もあるのだろうけれど
実は代替手段だったんじゃないかなぁとおもう

親しい人に、自分の気持ちや考えていることを
上手く言えなかったり、伝えられなかったから
その代わりの伝え先を、欲したんじゃないかな


SNSとか、職場、のようなところは
私にとっては「緩やかな繋がり」で
家族に言うほどの勇気は要らないし
不特定多数に伝えるような勇気も要らない
親しい人ほど私のことは知らないけど
赤の他人よりはイメージしてもらえる

つまり、代替手段として
「ちょうどいい」ということなんだろうと


たくさんの言葉を紡ぐけれど、ほんとうは
「私はここに居てもいい?」という一言が
言えたらそれで済んでいたのかもしれない

毎日のように発信しなくても、ほんとうは
あのときに「褒めてほしい」という一言が
言えたらすべて片付いてたのかもしれない


そして、いまこうやって何かを発信することが
楽しかったり、ときどき誰かのためになるなら

それらの一言は
「言えなくてよかった」ということなのかもね


起こるすべてが「ちょうどいい」こと。
その瞬間はそうおもえないことは多いけど
いつか「なるほど」と思うようになってる


これまでずっとそうだったから
これからもきっとそう。大丈夫。


#発信 #代替手段 #sns #ちょうどいい #視点転換 #心の作り方 #心の在り方

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