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持っているということが示す、その人のさだめ。麻央ちゃん、おつかれさまでした。

2年前、小林麻央さんが亡くなったときに書いた文章ですが
改めて読んでみて、過去の自分に励まされる思いがしたので
こちらに。

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麻耶ちゃんがなんか好きだったのと、癌が身近になったタイミングもあって、麻央ちゃんのブログも日々読んでたのですが。

いつも、思ってることがありました。
麻央ちゃんのことを知ってというより、もっとずっと前からですが。たぶん自分の住む街で阪神大震災が起こったあたりから、自覚的になった疑問です。

何が違うんだろうなぁ、と。

同じ病名で診断されて、そこから長く時間が持てる人と、そうでない人。

同じ街で震災にあって、亡くなった友人と、生き残った私。

同じように何かを始めて、軌道にのる人と、そうではない人。

同じような条件下で暮らしていて、満たされない思いを抱え続ける人と、そうでない人。

何が違うんだろうなぁ、、、
とずっと思っていたけれど、もしかしたら、「同じような」という発想が、考え違いだったのかもしれない、と、今朝早くの海老蔵さんのブログ記事を読んでて思いました。

誰の言葉だったか、戦国時代だったかのある武将の母君だったような気がしますが、兄ばかり身分が高いと不満を漏らす息子に

「そなたと彼は、身分が違うのではない。さだめが違うのだ」

と諭した人がいたそうで、私はその言葉がものすごく深い真理を言い当てていると感じました。

人はそれぞれ、同じよう見えて、それぞれ固有のさだめがある。持つ者、持たざる者、様々な人がいるけれども、大事なのは「持っているかどうか」そのものではない。「持っているということが示す、その人のさだめ」なのではないか、と思います。

さだめ=使命。
使命=命の使い道。

癌があるとかないとか。
長く生きるかとか短い生涯だとか。
丈夫な体だとか人と違う形だとか。
裕福だとか貧乏だとか。

大事なのはそのことそのものではきっとなく、ましてそのための治療法とか過ごし方の是非なんてことでもなく、

そのことが指し示すその人の持つ使命、今生における命がもっとも輝く使い道、を見つめていくこと、なんだと思うし、
そういう姿勢で生き抜くことを「天寿を全うする」というのではないかな、と。

人のことをあれこれ判断することなどできないし、まして麻央ちゃんが天寿を全うしたかどうかなんてわかるべくもないけれども、

彼女が、与えられた、決して楽ではなかったであろうさだめの中で、たくさんの人の心を動かしながら今生を終えられたことに、深く感じ入るものがありました。

麻央ちゃん、おつかれさまでした。

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