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ブランコ【ショートショート SF】
「ごめーん、今日も迎えに来てくれるー?」
酒に酔って上機嫌なタケルの声と、もう帰っちゃうのー、という女の子の声が聞こえる。もう、これで何度目だろうか。これまでの私は、電話の前でも笑顔を装っていそいそと迎えに出ていた。けれど前回でそれも終わりだ。
「いや」
私の一言に、一瞬沈黙が訪れた後、タケルの怒声が聞こえてきた。私はそれを無視して電話を切ると、スーツケース1つ引いて玄関を出た。すでにグッバイ愛の巣(もどき)と、昭和風に鏡に口紅で書いておいた。
壁にはタケルが蹴った穴や、私がつき倒されて頭を打った跡が残っている。退去の時修繕費取られるだろうね。でもタケルの借りてる部屋だから知ったこっちゃない。ほかの女が入ってルージュの伝言見つけて騒いでも知ったこっちゃない。
あたしもタケルもフリーターだ。同じ居酒屋のバイトをしていた。一緒に遊びに行くようになってから、同棲するまでには、そう時間もかからなかった。タケルの暴力が発動するのにも、そう時間はかからなかった。それでもあたしはタケルが好きだったんだと思う、たぶん。暴力が怖かったのも否めない。だからもう、今となってはどうだったか分からない。けれど少なくとも今はもうタケルに興味は無いから、あたしは出ていく。
車に乗って走り出すと、なんだかほっとした。まだ、追われたいような、タケルが追っかけて来そうで怖いような気持ちがあったからだ。
行き先を決めてなかったけど、ちょっとほっとできるとこがいい。実家へ帰るのは嫌だったけど、なんとなくそっち方面へ車を走らせていた。
ふと、実家にほど近い公園が目に入った。路肩に車を停めて降りてみる。寒くてつけまつ毛が凍りそうだった。
ぎい、と音がして、ぎくっとして足を止めた。この寒いのにブランコに乗っている人がいる?うすぼんやりと浮かぶ人影が気になり、何となく近づいていった。
小学生くらいの男の子だった。この寒いのに半ズボンを履いている。
「こんばんは」
こちらから話しかけるよりも先に、少年がにこっとして話しかけてきた。
「あ、こんばんは…」
つられて返す。
「あいちゃんも遊びに来たの?」
「へ?」
少年に聞かれて戸惑う。
「なんであたしの名前…」
「あいちゃん乗ってみて、僕押してあげるよ。いつも押してくれたし」
なんとなく抗えずブランコに座る。
「あいちゃん、いくよー」
少年がひと押ししてくれた後だった。何かはっとしたような顔をして言った。
「あいちゃん、もう帰った方がいいよ。またね」
振り返ると少年はすうっと居なくなった。
目を覚ますと両親の顔が飛び込んできた。声を出そうにも喉に何かつっかえていて喋れない。
「看護師さん、あいが、あいが」
母が泣きながら誰かと喋っている。
ばたばたと人が入ってきて、ひとまず喉のものが抜かれた。上手く声が出ない。
「タケルは?」
両親の顔が怒りに歪む。
「あいつはお前を殴ったんだ。警察に連れてかれた」
父が吐き捨てるように言う。
え?私はタケルを捨てて出てきたはずなのに…。
「あんた、もうあの子とは別れるって言ったじゃない」
母が泣きすがってくる。
そうだ、昨日母に電話してもう別れるって言ったのに、私はタケルを迎えに行って…。それじゃああの公園の男の子は…。
「昨日雅信くんの命日だったんよ。だから余計に、病院から連絡あって生きた心地せんかったよ」
母の言葉に、思い出した。あの男の子は幼なじみの雅信くんだった。あの子は事故で亡くなったんだった。
「まさのぶくん…助けてくれた」
それだけ言うと、あたしはなんだか疲れてしまって眠りに吸い込まれた。そばでうっすら、眠ってるだけですね、という声が聞こえた。