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情けは人のためならず【スピリチュアル】
ことわざにこんな言葉があるが、あれは、スピリチュアルな観点から言ってもいたんではないかと、最近ふと思ったりする。
前にも書いたが、「世界」には「善悪」はない。「世界」はそれぞれの「人(魂)」が持っていて、それぞれ違う世界を生きていて、それぞれの世界においては各人が主人公だ。
その各主人公の選択により、世界の進行方向がかわるということなのだが。
選択というのは、どんな学校へ行く、どちらの道へ進む、何を食べるという行動のみならず、感情も含まれる。
感情は目に見えないけれど、世界には見えている。なぜなら、自分の世界=主人公の思いでできているからだ。
ここまで書くと、やはり乖離してくる。何を書きたいのかわからなくなる。書くと言うこと自体が真理と分離することだからだ。
さて、主題に戻そうと思うが、なぜ、情けは人のためなのか。
世界は自分でできており、人のためにするということは、つまり自分のためなのである。全ては自分でできているから。
優しくするという行動をとったとする。世界はそれが選択されたと感じ、やさしいできごとが起こる。世界には「自分」や「相手」という別はない。だから、それが自分にだろうが相手にだろうが、同じ事が起こる。
説明がうまく行かないが、情けはひとのためならずとは、こういう意味なのではないかと思う。
自分にも人にも優しくしよう。優しい世界になるだろう。