親だって未熟である【エッセイ】
最近、悉く親とうまく行かず、ほとほと疲れ果てていた。
しかしながら、過去に立ち返ることができた。
記憶にはないけれどラスカルのぬいぐるみを探してあちこち回ってくれたこと。
授業参観に来ようとして間に合わず、下校中に親とばったり出会って二人で抱き合って泣いたこと。
私は生理的に親に触れることができない。元々あまり人に触れることを好まないのだが、親にうっかり触ると、反射的に避けてしまう。
いつからだろうと思う。
私は変わり者のため、どこへ行っても嫌がらせに遭っていた。けれどそれを誰にも相談することはなかった。親は弟のことで手一杯だったし。どうもそのあたりから、親に触れるのが気持ち悪くなってしまったようだ。
そして私は、彼らにできないことを無理やりさせようとしていた。
彼らに私の苦労を話しても、理解しようとしなかった。私は必死で向き合い、私の辛さを訴え、心のつながりを求めた。けれど親たちは、私の存在など見ず、自分のやりたいように操作してきた。最後通告として、それが辛かったのだと言ったが、言い訳して済まされてしまった。
もうこれを言って通じない相手ではわかり会えないから、一緒にいるのは難しいと覚悟を決めて言ったことだった。
彼らの与えてくれたものと、私の欲しかったものは違った。私の贅沢なのだろう。
でももう私は壊れそうで、逃げるしかないと思った。壊される前に。
こういう場合は思い出なんかは断ち切って行くべきなのだろう。情が残ると出られなくなるから。
それに縋って、あなたならわかってくれるよね、と言っては、わからん、と言われ傷つき続けるくらいなら。
親だって未熟なのである。けれど、私は、諦めて、表面上の付き合いをするのは嫌だし、今までみたいに私が「親」として、親たちのやりたいようにやらせて、見守ってやればいいのだろうか。それには流石に疲れてしまった。
親自身が自分の未熟さに本当は気づいてほしいのだが‥。
けれど、今まで親子の立場が逆転していたことに気づけたので、それを通してうまくやれる可能性を、最後に試してみようと思う。
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