we can go anywhere【ギルバート・グレイプ】
何気なくテレビをつけていたら、ギルバート・グレイプが始まった。私の大好きな映画だ。見ることにした。
何回見たのか覚えていないが、5度目くらいだろうか。私は映画にしろ本にしろ全くと言っていいほど内容を覚えていられないのだが、それにしても今回はこれまで見ても気づかなかったたくさんのことを知った。おそらく次見るまでにまた忘れてしまうのだろうが。
私は今の自分の悲哀と相まって、主人公が、どこにも行けず繋がれている、自分のことは考えないようにして人の世話ばかり焼いていることに、今回きづくことができた。
見始めた時、ラストシーンを完全に失念していた。1時間位たち、どんなラストシーンだったか思い出し、見るのがつらくなったが、ここまで来てしまうと引き返せないのが人間の性である。辛いラストシーンだったよなあ…と思いながら見続けた。
ラストシーンは、思っていたのとは少し違っていた。辛い悲しいシーンともとれるが、最後の最後には、「we can go anywhere」があって。
どこにだっていけるのだ。
引き留めていたのは周りの人でなく自分自身。
自分で行きたい場所へ行けばいいし、行きたくなければ行かなければいい。
昨年からずっと、神社などで目を閉じると聞こえてきた声「肩の力を抜いて」。神社で首をスパッとやられるイメージが浮かんだのは、「考えすぎ」。多分全部自分の中にあったことが映し出されていた。
また調子悪くなれば、nowhereになる時もnestに感じるときもあるだろうけれど、今は少しだけ自由だ。
このスキに色んなことを始めてみようと思う。
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