子供を持てなかった人生【エッセイ】
私は子供を生むということに縁がないようだ。まあ、子供を作るのに特化するならちゃんと子供を作れる人と結婚を前提に付き合うべきだと思うから、それをしなかった私が悪い。
離婚した夫はEDで、治療はおろかタバコをやめることもなかった(血流障害になることかあるので)。
その後3年付き合った人がいた。
彼との付き合いを終わりにする前は、半年くらいずっと「いかにして遺伝病の子供を産まないか」ということとの戦いだった。
それが彼の絶大な希望であった。
鳥取大学なら、出生前診断に詳しいと聞いては、私が電話をかけて話を聞き、二人で名大病院の遺伝病科のようなところも受診した。
その時の私は、今から思うと傷ついてボロボロで泣きたかった。
その私の気持ちを名大病院の女医さんが代弁してくれた。彼氏に対して「あなたのやっていることは、彼女の存在を否定していることですよ」と。
それを聞いて、自分がいかに傷ついていたのかに気づいた。
私は子供のことよりも、「お前のような遺伝を持った子供が生まれてきてはかわいそうだ」と言われ続けて、自分の存在を否定されたことに傷ついていた。
けれど、私はこの病気に悩まされるのだと思っていたし(その頃は無症状)、子供に遺伝させたくないのは当たり前だなあと思っていた。理屈では彼の言葉が正しいと信じていた。けれど蓋をした心はボロボロだった。
女医さんの言葉に、「なんだあの失礼な医者は!わざわざ訪ねていったのに」と彼は憤慨していた。私はもう何を言ったかは忘れたが、彼をなだめた。
彼にはことあるごとに「かわいそうになあ」と言われていた。
結局、細かいことは忘れたが、外国でどうにかするしかなくて、大金が必要だから、ということで、向こうは恋人としては未練はあったみたいだけれど、こっちが疲れてしまい、たまたま准看護学校で出会いがあり、その子と付き合い始めた。
けれど、その子もやはり遺伝病のことは気にしており、そしてその子とは13歳離れていて、友達に反対されたとかそんな話を聞いているうちにうんざりしてきていた頃、今の相方と付き合い始めることになった。
同棲してしばらくして結婚という話が出たが、「母から資格を取ってからと言われているから」とのことで、毎年せっついているうちに6年が経ってしまった。
そうこうしているうちに病状が思いのほか早く悪化して満足に働けなくなり、自立できなくなってしまった。こうなる前にここを出るべきだったと反省している。
幸か不幸か昨年彼は一つ資格が取れた。それで結婚という話も出てはいるが、私のほうが躊躇っている。
毎年毎年色々と調べては資格取得を促すも動きのない彼に、気持ちが覚めてしまったからである。
彼がもし私と別れるとしても(同棲しながらも、彼の将来を考えて身を引くつもりでいる)、今の仕事は年取ってからも続けられる仕事ではなく、資格をとっておくか、進路変更が三十代になってからでは難しいからと、ずっと言い続けてきた。
とまあ、子供を持たないストーリーを選んで生まれてきたのだろうとは思うけれど。
それでもエゴは、子供をきちんと育てられない人に対して厳しく責め立ててしまう。
あなたが産んだんでしょ。その子の頼るところはあなたなんだよ。何やってるの?ちゃんと育てる気もないのにどうして産んだの?子育てはボランティアだよ、文句言うならなんで産んだの?と、ものすごく私のエゴが反応してしまう。
最近も「思春期で。ほんと女の子はいやねえ」なんて、初対面で結婚は?子供は?と聞いてきた人が言ってたから、嫌なら子育てやめれば?私がもらってあげようか?と思ってしまった。
わかっている、私にも子供がいたらぐちの一つもこぼしたくなるだろう。だって子供は自分とは別の人格だから、思うようになんて動いてくれないから。占いをやってても思うけれど、子供を思うように動かしたい人が多くてびっくりする。
けれど、そんな理屈でなく、子育てに向き合えない甘い親に対しては、感情的になってしまう。怒りというより、悲鳴だ。子供を持てなかった女の悲しい泣き声だ。僻みと嘲笑ってくれればいい。私が悪いのだから。
同じ遺伝病でも、遺伝病と知る前に産んでしまった人もいる。
私は幸いこの年だからもう産むことはないが、遺伝病のことを強く指摘されて良かったと思う。うっかり産んでしまって苦しむ子供を作ることがなかったから。
どうにも湿っぽく、締めようのない話になってしまった。
けれど、これを書いて、自分が何に傷ついているのか少しは整理がついた気がする。