誰かさんと誰かさんが菜の花畑
「誰かさんと誰かさんが麦畑」
母がよく歌っていけれど、ワンフレーズ口ずさむだけだった。ネット検索してみると「誰かさんと誰かさん」という歌だった。原曲はスコットランド民謡「ライ麦畑で出会ったら」。
洗濯物を干す時、クリームシチューを作る時、ワイシャツにアイロンをかけている時にだいたい口ずさむ。母に「思い出がある歌なの?」と聞くと、ちょっとね、とはぐらかす。父との思い出かなと思っていたけれど、父は「ドリフか?」と言う。身に覚えはなさそう。
大学に入った私はよさこいの部活に入り、そこで一つ上の先輩に恋をした。でも遠い恋で、咲いている花を遠くから眺め、心を静かにあたためる日々だった。彼女も持ち。叶う恋ではなかった。
先輩は踊りが上手だった。それもそのはず、母親がダンスの先生で教えてもらうことも多々あったという。部活の中では誰よりも上手く、向上心も高かったから部長と、その取り巻きには嫉妬心まるだしの待遇だったから、一年生から入っている先輩は二年間近く隅に追いやられていたのだそうだ。
先輩たちが卒業してからというもの、部活はさらに活気に満ちていった。以前は選抜式だったのが、全員参加型に切り替わったし、振り付けも先輩を中心に、みんなでアイディアを出し合うという形になっていった。
相変わらず先輩の彼女とは関係が切れないまま続いていた。それでもよかった。傍にいられて、一緒に何かできて、秘めた想いを大事にしながら、告白することもなく。そんな日々が幸せだった。
ある日の春先、一人でサイクリングをしている時、メタセの杜近くの菜の花ロードで偶然先輩と出会った。先輩はカメラの趣味があって暇があればサイクリングがてら写真を撮ることがあると言う。先輩も一面の菜の花を見に来たらしい。
学校の中でしか出会ったことがなく、いつも皆と一緒だったから二人きりというのは何故か緊張した。ぎこちない会話というか、むしろ無言に近いまま走らせる。夕闇が近づき、少しずつ夜が近くなり、帰ろうかという雰囲気の中、先輩は自転車を止めてシャッターを切り出した。
先輩が見る景色、先輩が感じること、考えていること、全てを想いながら一緒の空気を胸いっぱいに吸い込んでみる。菜の花の微かな匂いを鼻腔にくぐらせながら、懸命に何かを切り取ろうとしている先輩の姿に別の純粋さを感じていた。
近づけたようで、近づけない。でも私はこれでいい。
体が、一瞬だけ震える。夕日が綺麗ですね。些細な言葉さえも口に出せない。昼間の鮮やかな黄色がくすんでいくのが苦しい。
「ごめんごめん。綺麗だったからつい。もう暗くなるね。早く帰ろうか。明日からまた講義あるんだろ?」
私は黙っていた。自分を抱くように両肘を抱えながら。
「どうした?」
心配し近づいてくる先輩の顔をまともに見られずに俯く。
「寒いんです。とても、寒いんです」
「大丈夫か?」
肩を両手で握ってくる先輩に顔を向ける。近い。今までで……一番、近い……距離に、いる……。
体が震える。脅えなのか、悲しみなのか、寒さなのか、恐れなのか、正体もわからずに。
泣きそうな瞳で先輩を見つめていると、先輩の唇が近づいてきた。
私は覚悟したように、待っていたように、素直に受け入れ、腕を先輩の体に回して抱きついた。
長いような、短いような時間はぎこちなく過ぎ去って、唇が重なった事実がなかったように私たちは帰った。
先輩が彼女と別れるようなことはなく、口付けを交わしたことに触れるようなこともなく、いつも通りの先輩と私のまま時間は過ぎていったけれど、ただ一つ秘密だけは残った。
「誰かさんと誰かさんが麦畑」
私の中で特別な意味ができた。歌を口ずさむ母を優しい気持ちで今は見ている。
私も、ふと誰もいないところだけれど、独り言のように歌を口ずさむことが多くなった。
参考写真:GMTfoto @KitaQ
http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2016/03/blog-post_75.html