濃霧のモノレール
鉄道の路線は数えられないくらい日本国内にあるというのに、地下鉄やモノレールや路面電車は国内に数えるほどしかない。
その中のモノレールの一つなのだということは大人になって初めて知ったのだが、生まれ育ち、ほぼ北九州市をあまり出ることはなく、福岡県外に出たことなどまったくなかった武士は霧の中をふらりふらりと揺れるように歩いていた。
タケシと名付けられ漢字も雄々しさを込めて父からつけられた名だったが、いつも何かに脅えるようにおどおどしていて、そのことが逆に根っからの九州男児の父の逆鱗に触れ、厳しく叱られない日はないほどの子供時代を過ごし、大人になってからも、下から人の顔色を伺うような上目遣いで人と話し、目が合うとすぐにそらすような付き合いづらい男であった。
当然友達も知人もいないと言っても過言ではなかったが、仕事は黙々とこなし、また性格が元々細かなところがあるのかミスなどもまずなく、かといって出世することもなかった。
そんな男でも趣味はあった。競馬だ。
始まりは小さな頃に見た戦国歴史ドラマだったが、合戦中の武士を乗せている馬の力強さに見入られ、実際に競馬場に足を運んだ時、競走馬の美しさの衝撃に全身が震え足がすくむほど感動したのだった。
それから競馬場通いをするようになった。
中学三年から地方レースのある週末は競馬場に通うようになり、ついに二十歳で馬券を買ってから三十三年という月日が経ったが、仕事も性格も交友関係も相変わらずだった。
変わったといえば、父が四年前に亡くなり、母一人となったことぐらいだった。
そんな人生を過ごしていた武士が、跨座式モノレールに小倉駅から乗り込んだ時に異変は起こった。
急に濃霧に包まれ一寸先が見えないほどになった。気がつくと車内には誰も乗車していない。競馬場の会場時間午前九時に着くように乗ったはずだから、今の時間帯は乗客が皆無なのはありえない。濃霧自体も珍しいことだ。
小倉駅から出てしばらくすると武士は不安になった。もう十分も経っているのに次の平和通駅に着かない。競馬場前駅に着いてもいいくらいだ。もしかして運転手のミスか。回送列車にでも乗り込んでしまったのか。多少の苛立ちも出てくる。乗降口の窓に張り付き濃霧の先へと目を凝らすが押し迫ってくるような深い霧が眼前にあるだけだった。
「あっ」と小さな驚きの声を武士は上げる。馬がモノレールと一緒に並走している。筋肉のしっかりとした黒い馬が虚空を蹴り上げ後ろ足の筋肉の筋を閃光のようにくっきりと盛り上がらせ艶めかせている。
前足で着地し、飛ぶように後ろ足で蹴り上げる。隆々とし、整った筋肉が躍動している。あれは正真正銘のサラブレッドだ、と武士は思った。もはやモノレールから見えていることや、濃霧の中で光景がはっきりとしていることなど気にもならなくなっていた。
人と接することがほとんど出来なかった武士が唯一活き活きと自らの命を重ね合わせ興奮することが出来たのが馬だったから、もはや他のものは目に入らなかったのだ。
当然車内アナウンスが六駅も飛ばして競馬場前を告げたことにも気がつかなかった。武士は開いたドアから馬を追うように走り出ていって光の中へ消えていった。
その日の午後、武士の母の元に警察から連絡が入った。後日の司法解剖の結果大動脈瘤剥離だったという。ただ不思議だったのは競馬場の開場時間が九時にも関わらず濃霧が出ていた三十分の間に乗り込み競馬場前で倒れていたということだ。濃霧の出ていた時間は、ほぼ始発六時過ぎから半までだという。
葬儀会場で武士の母は悲しむようなことはなかった。衝撃の大きさからかと周囲は思っていたが、違う、と言う。
夢を、見たらしい。濃霧に包まれた中、息子が父を追いかけモノレールに乗って霧の向こうへ消えてしまった夢だったのだと言った。
参考写真:GMTfoto @KitaQ
http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2016/03/blog-post_66.html