才能2

才能

「しかしあの川端もついにノーベル賞か。我ら文士としても誇らしい限りじゃないか」

 いつになく上機嫌の加古に肩を組まれながら澤田は縮こまっていた。川端康成だって知り合いでもないし、加古も文章が売れているわけではなく文士気取りをしながら引っ掛けた女から酒代をもらい、今のように、さも偉そうに街を闊歩するというヒモでしかない。

 澤田はそんな加古と一緒に歩いて同類だと見られることが恥ずかしかった。

「ここらへんじゃ森鴎外が住んでいた家があるそうじゃないか。君も舞姫くらいは読みたまえよ」

 鍛治町には飲み屋がひしめいていた。何軒か、はしご酒をしながら加古の相手をする。それは加古が文士としての才能は劣悪であっても、文章に対する知識はあったからで、師に仕えるかのごとく澤田は共にいた。

「加古さん」

 珍しく澤田から声をかける。その時はいつも質問が多かったため加古も「どうした? 当ててやろうか。今度は誰が取るかってことだろう? 三島だろうよ。いやぁ、あれは成熟してきているぞ」と得意げだ。

「違うんです」

「何が違う。君にも目星があるってことか。言ってみたまえよ」

「あの……」

 澤田の言葉が詰まる。

「どうしたんだ。どうせ当たっても外れても損はしない。俺や貴様のような世に埋もれた才能は沢山あるのだ。そのキラ星の名を口にしたとて、女の名をあげるようなものだ。損はしないよ」

「僕、文章やめようと思うんです」

「なんだと!?」

 加古の驚きはいつにないほどだった。結局飲み屋に引きずり込まれ事情を聞かれたが、ごく単純な理由だった。

「子供が今度、できるんです。だから小説家として金が稼げない限り、僕はやめないといけないんです」

 加古が卓を大きく叩くと上にあった焼酎のコップが兎のように跳ねたかと澤田には感じられた。

「何を言ってるんだ貴様は! 文士は例え貧乏であろうと作品こそ高潔かつ気高くあるべきなのだ。例えなんと言われようと気位を貫き通さずして何の作品と言えようか!」

 女の恥部や裸体ばかりを描写した詩を数多く書いている加古の作品は高潔かつ気高いだろうか、と澤田は心の中で思った。

「僕も川端くらいはどうにかなると思っていた。あんなもの、充分に越せるんですよ」

「なっ……」

 澤田の言葉に加古は今までにない驚きを覚えた。一度としてこのように自信をみなぎらせた言葉を吐いただろうか。

 加古は澤田の作品に嫉妬を覚えることが数多くあった。内気で作品を外に出すことさえ躊躇するような臆病者とばかり思っていた。実力ある澤田に説教や教えを与えることが加古の慰めだった。酔い痴れ鍛治町を闊歩していた加古に比べ、いつも澤田はそこそこ冷静に、消極的に加古に付き従っていた。

「貴様に足りないのは、ただ一つ、勇気だけだと思っていた。貴様が、そんな言葉を吐けるとは思っていなかったよ」

 酔いも冷めるような気持ちで、かつおごそかに告げたつもりではあったが、いつもの酔っている加古には違いなかった。

「決めたんです。もうすぐ新しい命も生まれる。僕の時間は、なくなってしまったんです」

「何も今すぐここで打ち切ることはないだろう。小説は仕事をしながら、家庭を持ってでも書ける」

「ここで未練を断ち切らないと、二人の人生を駄目にしてしまうんです!」

 両手で机を叩き付け、椅子から立ち上がった澤田を口を開けながら加古は見上げていたが澤田の瞳に涙が浮かんでいたのを見逃しはしなかった。それ以上何も言えず、澤田も一緒にいることが辛くなり店を逃げるようにして出ていった。その後澤田は一度として加古に会った事はなく、加古も澤田を訪ねることはなかった。

 加古はどうなっただろう。思いをめぐらせていた。

「おじいちゃん。おじいちゃん!」

 袖を引っ張られ澤田は我に変える。我に返ったが、一瞬何処に出て行く階段なのかわからなくなるほど昔を思い出していた。目の前には茶色い石段風に作られた階段がある。外に続く階段だ。出口の先は、よく晴れているようだ。

「どうしたの?」

 心配した孫が見上げている。まるで違うようなものを見る目で、不安の色を浮かべながら、あの日の加古のように。

「いや、ちょっと昔のことを」

「昔のこと? どんなこと?」

 孫の言葉に「いやあ、忘れちゃったよ」と言葉を濁した。しかし澤田の中には、くっきりと思い出された。

 オーガイストリートと名付けられた道を昔歩き、密かに闘志をみなぎらせながら劉寒吉、火野葦平を越す北九州市の小説家になるのだと意気込み、三島由紀夫の死、続く川端康成の自殺でやめて良かったのだと心に刻み込んでいた、あの日々のことを。

 今は孫も出来た。これでよかったのだ、と改めて孫を見ながら感じた。悔いはない。

 その後澤田も苦しむことなく老衰で死んだ。死後には膨大な小説の作品群が見つかったが、ボロであったのと、小説にはまったく知識もなく本も読まない娘夫婦には、ただのゴミとしてしか見えなかったため遺品整理の際、次々と作品はポリ袋に包まれてゴミに出された。

 その作品が優れていたかどうか知る者は、もう誰一人としていなかった。


参考写真:GMTfoto @KitaQ

http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2014/01/14128_5875.html

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光野朝風
あたたかなお気持ちに、いつも痛み入ります。本当にありがとうございます。