野焼き
全国ではまだ何十箇所か、野焼きが行われている。
野焼きというのは、その名の通り、春先及び夏になる前に枯れ草に火を放ち野を焼き、害虫や山野の植物の育成を人工的に制御する方法であり、平尾台でも二月あたりに毎年行っている。
火がついた時は火が生き物のように計算されつくして野を焼いていく。その姿を見に毎年人が訪れる。
野焼きの準備が始まる様子を見ながら、今年に限って海藤太は我が身に重ね合わせるように苦々しく見ていた。野焼きが行われる場所は当然巨木がない。
善と悪の構図はとても楽しいものだ。自らが善であり、相手の悪辣な点を挙げれば挙げるほど、自らの善への正当性が高まれば高まるほど、人は人を断罪したくなるものだ。
そのような性質を太は小学校の頃から体験していた。所謂いじめだ。
クラス中が敵に回ったこともあったし、担任までが生徒の親に丸め込まれて敵側にまわったこともあった。思春期の環境としては凄絶であったが、太は相対する相関図で人を見ることを中学校二年生で止めた。太自身にとって何が一番いけなかったのか。協調性がなかったのかもしれない、と理解したのだ。協調性とは周囲に溶け込む力だ。蔑まれてもいけない。高みに行ってもいけない。ただ周囲との調和を保つために、目立ちもせずいじめられるほど陰を薄くもせず、均衡を保つことを意識する。すると人間関係は上手くいった。
ただ、高校の時は荒れた。我慢していたものが爆発したかのように人を見下した。自分以外は全員馬鹿だと思えた。実際中学校のレベルが高かっただけに、相対評価で中学校の成績は悪くとも高校では成績に華が咲いた。中学校から同じ高校へ行った連中はたちまち学年トップに躍り出るくらいだったから、当然周囲の連中は猿のように思えた。勉強しない方が悪い。だから成績が落ちるのだと散々中学校で体験しただけに、馬鹿は馬鹿だから悪いのだという考えが太を支配していた。むしろ見下す快感で自分が偉くなったようにも感じた。面白いほど気分が高揚した。
母親にも「あんたはあの頃おかしかったよ」と後で言われたくらいだったから、相当鬱屈したものを抱えていたのだろう。当然、孤独でいることが多く、またその孤独感を人を見下すことで発散させているところがあった。
大学に入ってからは落ち着いていたが社会人になってから、また変わった。周囲の人間たちが普通ではなく洗脳されたように会社中心主義、上に尽くしてなんぼという異様な雰囲気だった。この異様な雰囲気に以前の太ならば飲み込まれていたが、今までの経験から処世術は見事に身についており、自分の醜さも含め、人間いかに行動するかの原理のようなものが見えてきていた。すると上司に取り入ることも容易になり、あれよあれよという間に同期を抜いて出世コースに乗りかけたのだったが、その時に一気にあることないこと、むしろないこと尽くしのうわさが恐竜ほどの尾びれをつけて出回りだした。
野焼きは計算されつくした火が回っていく。むしろ自分を貶めている何者かは昔で言う流言飛語の計が見事に決まり、悪である自分を引き摺り下ろすという構図に快感を得てやっているのだと、太は考えを巡らせた。
腸の煮えくり返る思いではあったが、まずは野の前で深呼吸をした。枯れ草のいい匂いがする。それは生命の香りにも思えた。少しだけ心の中に風が吹き落ち着いた。
野焼きの行われる日、太はわざわざ有給を消化して見に行った。その煙の味を喉の奥で噛み締めなければ、まるで夏が来ないようにも感じるものだが、綺麗に計算された区画を焼き、人間が思った通りの状態に戻していく野焼きの技術を、お見事と思うと同時に、今起こっている現実に照らし合わせ、考えを巡らせていた。
燃え上がる炎を見ながら、いつも人の心を考え、自らの人生を振り返っていた。炎は人の心の埃を燃やす作用があるのかもしれない。
太には勝算があった。会社では何も自分の利益だけを掴もうとしているわけではない。上司の悪辣な利己的権力行使と利益享受に腹が立ち、下に立つものをないがしろにする構図を正したいだけだった。それは太が経験してきた思春期の理不尽さから来る反動としての正義感だった。
だが残念ながら太の同期たちや、会社の雰囲気から「出しゃばれば地獄に落とされる」と思っていたし、面倒な人間は排除した方がよいと考えていた。
太が正義を行使しようとすればするほど、周囲は太を貶めようと画策するという皮肉は、太にも想像の及ばぬことではあった。
参考写真:http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2015/02/blog-post_731.html