胸打つ時間のカフェテラス
北九州市立大学には最初からあった北方キャンパスと後に出来たひびきのキャンパスがある。二つは離れているし、ざっくり分ければ北方キャンパスは文系。ひびきのキャンパスは工学や情報建築などの学科が入っているため様相も違っている。
私は久しぶりに北方キャンパスに来ている。
学食前のテラスには白い椅子やテーブルが立ち並び、晩秋の紅葉の木々が立ち並んでいる。
少し肌寒くなり出したというのに、ホットコーヒーだろうか。紙コップから湯気を立たせて二人の学生がテーブルに座って何か話している。
私は紅葉を見るふりをしながら耳を傾ける。
「地域っていうのは、僕は脳神経とか脳細胞のようなものだと思うんだ。特に歴史があるだろ。だから脳の部位のように、ここはこういう機能。こっちはこう、とかさ。ほら、運動を司る機能とか、言語を司る機能とかあるだろ? 長年の歴史の中で培われてきたものっていうのが、そこに機能を持たせている。当然時代によって流動的に地域は変化していくけれど、地域再生とか、地域創生とか、そういうことを本気で考えるなら、この地域だけ、みたいな考え方は危ないと思うんだ。それこそ、腕を動かそうとして言語野を使うようなものでさ」
地域のことについて熱心に話し合っているようだ。若く、熱気がある。いいなぁと思う。
私がいる時にはなかった学部。調べてみたら二千九年からある地域創生学群、というものらしい。私がいた頃は、ここ一つだけだったから「北方キャンパス」という呼び名さえなかった。学部も随分と増えたようで、活気付いている。
昔は古くて狭くて汚い学校だった。綺麗な本館のビルが建ち、たたずまいが少し変わっても、学食はほうれん草のゴマ和えとか、とんこつラーメンとか、南瓜煮とか、カレーとか、本当に何も変わってなくて、「うふふ」と少し微笑んでしまったくらいだった。
「地域を回復させるには、機能性から考えないといけない。何が足りないのか、何があるのか。まずそれをしっかり捉えた上で機能性を高めるには何を足せばいいのか、それを捉えない限り話は始まらない……」
二人の学生の議論が白熱してきたところで私は席を立ちキャンパス内を歩く。将来こういう若者が地域を背負って立つと思うと誇らしい。
そういえば、と思い出す。
ゆっくりと歩を進め、昔よりも空を見上げ、雲の形に気を向けたり、葉の色づき具合に心を奪われたり、昔とそのままの景色のはずが、私、ただ駆け抜けるようにしていただけだったなぁ、と。
それでも今は、こうして急ぐ理由もない足を運ばせながら、足元のタイルや土や葉っぱに目を奪われ、香るような時間の流れに身を任せている。
二十年という時間があれから経ち、この場に立って同じものを吸い込んでいるはずが、今はもっと隅々まで感じようとしていて、その変化がとても嬉しくて、木漏れ日の光が中庭に零れているのを一つ一つ見つめている。
消えていくものの中に、重なっていくものがある。時の流れと、年齢。
あの頃、どうしてこれらが「全部同じ景色」だと思えたのか不思議でならない。
何もかもが違って見えるようで、きっとまた来ると違って見えるのだろう。
そんな変化と、胸打つ時間のカフェテラス。
今度、久しぶりに学食でも食べに来ようかと予定を立てる午後のひと時。
参考写真:GMTfoto @KitaQ
http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2013/12/blog-post_1092.html