第二の結婚式

第二の結婚式

「ちょっと運転しろ」

「え?」

 夫、将和の言葉に妻の響子は驚きの声を上げた。

「でも……」

「運転できるくらい体力が残ってないんだ。頭はぐるぐる回っているのに、体が動かん」

「はい」

「女に運転は任せられん」と、一度として運転をさせたことがなかった将和が初めて響子の運転でドライブに行くのだから、響子の驚きも無理はない。

 単身赴任五年目。海外にも行くことが多い。家に帰ってくるごとに言葉や顔つきが厳しくなってくる将和を心配していたが「お前は余計な心配をせんでええ」と突き放されるばかりで、結婚生活十二年目、絹婚式を迎えるのに心の奥には入っていけずにいた。

 助手席に座る時「っあぁ……」と疲れた溜息をどっと吐く。そして閉じた目を深呼吸をしてから開き、シートベルトを締める。

 これほど疲れ果てた姿は初めてだった。

「響町に風力発電の風車があるだろ。そこへ行こう」

「はい」

 車で二十分ほどの時間だったが、将和は少し寝ているようだった。

 察しはついた。新聞でも一面トップで経営悪化による大規模リストラが行われることが載っていた。将和の勤める大手の会社。三万人が整理されると言う。

 将和の友人の妻伝いで聞いた話によると、社内の様子は劣悪だと言う。

 既に再就職先を斡旋する新規子会社も出来上がっているらしいが、大手でさえ新聞通りの有様なのだ。よい条件の再就職先などは期待できないだろう。

 白島フェリー乗り場の駐車場につき、休ませてあげようと響子は黙っている。

「ついたのか?」

「あ、ええ」

「着いて来い」

 歩く姿はいつも通りだったが、気張っているのは充分に見て取れた。

 響灘には十基風力発電の風車が回っている。穏やかな海だった。少しずつ沈みゆく夕陽と、少しずつ大きくなって迫ってくる月の両方が空に映りこんでおり、幻想的だった。

 同じものを見ていたのだろう。

「どちらが太陽ということもないのだろうな……」

 太陽がなくて月は輝かない。常々「お前は俺なしでは何もできないだろ」とモノを言われてきた響子には将和が全て言わずとも何を言わんとしているのか理解できた。

 まるで別人のような夫が傍に居る。どうしていいのか戸惑うほどであったし、何かしたいと気持ちばかりが空回りするばかりで伸ばそうとする指先が震えた。

 この場所に連れてきたのも、自分の名前に懸けたからなのだとわかった。

「子供……欲しいって言ってたな。二人……」

 背中を見せ続ける将和がハッキリと言葉に出したのを聞き逃さなかった。

 結婚前も結婚後も仕事に忙殺され疲れ果て夫婦の営みどころではなかった。疲れては泥のように眠り、上司や取引先の付き合いでは遅くなり、まるで止まると死んでしまうかのように働いていた。子供が欲しいと言ったのは結婚前の言葉で、覚えているとは思わなかったのだ。

 響子は目の前の太陽が一瞬輝き沈み行くのを瞳を潤ませ眺めていた。

「あ、あの……」

 細波のような声の響子。

「なんだ」

 振り向かない将和。

「触れても……いいですか……?」

 月光を受けて白く消え入りそうな手を伸ばす。触れられれば肩でも背中でも、どこでもよかった。

 振り向き手を引き寄せ口づけをしてきた将和。響子は瞳をぐっと閉じると涙が頬を濡らした。出産への絶望的な重みに苦しんでいたため、想いが堰を切ってきたのだ。

「俺は北九州に帰るよ。ここで、再出発する。一緒に居てくれるか?」

 将和の瞳を見つめながら手を捜し、指を結んだ響子は力強く返事をした。

 まるで、第二の結婚式だった。太陽と月が織り交じる場所で、新しく生まれようとする二人のことを胸の奥で感じていた。

 あの景色は、一生忘れない、と響子は心に誓った。

 月の光は絹を広げたように二人を夜空の下で彩っている。


参考写真:GMTfoto @KitaQ

http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2016/04/blog-post_75.html

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光野朝風
あたたかなお気持ちに、いつも痛み入ります。本当にありがとうございます。