幻の煙
胸がどす黒くぬめっていくようだった。
一度抱いた憎しみは、どうすれば晴れるのだろう、とバーボンの入ったステンレス製のボトルを片手に中瀬は夕陽を見ていた。
工場地帯の煙突から出る煙に太陽が焚き付けられている。やがて煙に押し込まれ夜が来るだろう。
空の雲でさえ煙のように思えてきた中瀬はボトルのキャップを勢いよく開けて中のバーボンの半分を飲み干す。
期間労働者として工場で働いていたが、先ほど解雇された。ただやめさせられるぐらいだったら中瀬も酒を片手に夕陽を眺めたりはしなかっただろう。
趣味があり、スケッチをする癖があった。鉛筆で荒々しく描き、指や手の平で描いた場所を擦りながら濃淡を調整していく。写実的というよりも、やや抽象的で、時折現実を描写するよりも心象が浮かび出て風景や人がいびつに描かれることもあった。
スケッチをたまにしていることは同じ期間工の班長にしか話していない。だが言われたのは派遣会社の上司からだった。やつが話したに違いないと思った。
「君、仕事のこともっと考えてしっかりやらないと。スケッチなんてしてたって食えないんだから。もっと効率のいい動き方とかあるでしょ。日々考えて仕事しないと使い物にならないよ」
その時怒鳴り散らしてしまったのだ。二人とも殺そうと思ったほどに激昂した。当然喧嘩になり、クビになった。
そもそもスケッチを始めたのは叔母の影響だった。小学二年の時、父親を描く宿題が出た時、鉛筆で大胆に描いた顔が、同じクラスの子達にも「お化けのようだ」と評されたため担任に親を呼ばれ両親から真面目にやれとこっぴどく叱られたが、叔母だけは「あんたの絵は平野遼のようだねぇ。こんな絵を今から描けるなんて将来は有名な画家になるかもしれないねぇ」と褒めてくれたのだ。
平野遼。小倉を中心に活躍していた洋画家で、まるでその絵は風呂場の曇った鏡に映った景色であり、そして人物画はジャコメッティに影響を受けただけあって、引き伸ばされたようにいびつで、地に沈むような陰の重さがあった。
スケッチをすると両親が止めようとする。こんな怖い絵を描くんじゃない、と叔母が買ってくれたスケッチブックを取り上げられたこともあった。
絵を描くことにどんな意味があるのだろう。金にならないはずなのに、五万円もする水彩の色鉛筆百二十色セットも半年前に買った。
油絵は、怖かった。
何もかもを塗り潰してしまいそうで怖かったのだ。
何故、中瀬は怒り、そして憎悪を抱いたのか。自身にもわからぬことであった。だが、心の奥底に叔母が褒めてくれたことへの清々しいほどの感謝の気持ちがあった。絵を描いている時だけは自由になれた。
その自由を長年両親は抑え付け、そして鬱屈したものを中瀬の中に育て上げた。
一人暮らしを六年ほど続けられていたが、この調子では、また家に戻らなくてはいけない。
悲哀と怒りと憎悪で太陽が歪んでいた。もう、死んでもいい、とさえ考えていた。
息切れのように呼吸が荒々しくなってくる。心臓が破れそうなほど高鳴っている。これはなんなんだ、と自身も当惑するほどであった。飲みすぎたか、いや、そんなはずはない。いつも飲んでいる量よりは少ない。
ボトルを懐に入れようとするとミニスケッチブックが指に当たった。
鉛筆は、鉛筆はあるか。ボールペンでもいい。
内ポケットにあったボールペンを見つけ、暴れるように描いた。描ききった時、母親から電話がかかってきた。
携帯電話のボタンを押し、耳を当てると「父親が倒れた。危ないから今すぐ戻ってきてくれ」とのことだった。
「くっくっくっくっくっく……」
喉の奥から笑いが込み上げてくる。
そして高らかに空に笑いを飛ばした。しばらく、笑っていた。
気がつけば泣いていた。ふと気がつくと、遠方に見えていた煙突から吐き出される煙が黒く染まっている。その周り、太陽も雲も空も色を変えている。
何もかもが色を変えてぼやけて映っていた。
涙は、止まることなく流れ続けていた。
参考写真:GMTfoto @KitaQ
http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2016/02/kitaq-philosophy_44.html