最後の鰻
「明日だったらエイプリルフールだったのになぁ」
常連の蛯名は冗談とは裏腹に神妙な気持ちだった。
明日には閉まる若松丸仁市場の中にある鰻を焼いている店の年老いた女将に声をかけた時、頭の中を思い出が駆け巡る。
いつものように年季の入った鉄製の四角い練炭コンロの上で、鰻の油がよい香りを上げている。
「うなぎ」と書かれた暖簾は焼かれた鰻の油のせいか、だいぶくすみ、店内も年月以上に燻されている。
その様子を蛯名は名残惜しみながら見回した。
魚介類を売っていて、鰻は持ち帰りのみで売っている。国産の鰻は絶品で月に一・二度は贅沢のために、買っていた。就職してからずっと通いつめていた店だったが、ついに年度末で閉店だと言う。
右も左もわからなかった安月給の若い頃でも「俺は出世するのだ」と無理をして買い続け、ようやく無理もなく買えるようになってきたというのに二十年近く馴染んだ味が消えてしまうことに、名残惜しさよりも、青春の一ページの喪失感の方がはるかに大きかった。
市場の移転先は決まっているのだが、年のためか、これで店仕舞いをすると言う。
蛯名は「申し訳ないが、最後閉店するところまで見届けたいんだ」と申し出ると、快く女将も大将も「何もありゃしないよ」と快く受けてくれた。
せっかくの焼きたての鰻が冷めてしまうが、帰るまでに三十分近くかかる。
どうせ冷めてしまうのだから、最後の姿くらいはゆっくり見納めておきたいという気持ちがあった。
いよいよ片付けともなろう時間になったが、いつもの様子なのだろう。
ただ淡々と片づけをしている。
明日また店を開くのではないかというぐらい何の感傷も見当たらない。
長年の癖がそうさせるのか、それとも感傷に浸らないようにしているのか。
きっと身に染み付いたことを繰り返しているのだろう。その上で長年変わらぬように素材を見抜いて、魚や鰻を出していたのだろう。
鰻は時価ではあったが、三千円ほどで出されていた。
最後に買った鰻も、その値段だった。懐に入っている万札の数枚を置いていきたい気分にかられたが、堪えて請求通りの額面をきっちり払った。
女将さん、俺、明日から部長に昇進なんだ。新規事業の頭を張ることになるんだよ。
伝えたかったが、その言葉さえも飲み込んだ。
失うものを、取り戻せるものでもない。
「何かを得たつもりでも、消えていくものがある。寂しいものだな」と思い、蛯名は礼を言って最後の鰻を持って店を出る。
小学六年になる一人息子に昔話と共に食わせてやろうと心に決めて。
参考写真:GMTfoto @KitaQ
http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2016/03/blog-post_11.html