花喰い
「春先」も「寒波」も、まるで感覚が違う。
「赤カブの花が咲いた」と彼女は言った。
一体ここではいつが「春先」なのか。
桜は五月頭に咲くけれど、ここでは二ヶ月前に散っている。
「寒波」なんて言えば、積雪五十cmは普通のことだし、「しばれる」というくらい肌が凍ったように突っ張って痛くなる。
でもここではそれはないのだ。
きっと、桜が咲く三月に入り始めると「春先」なのだろう。
こちらは雪解けが進んでいくほどの気温になれば「春先」なのに。
「本当に来てくれたんだね」
「ほら、最近は飛行機も安くなったから」
運賃の安さは距離をも凌駕する。今までチャットや音声通話でしかやり取りしていなかった人が、近くになった。それは嬉しい。
だが、急に会いたいとせがみだしたことに違和感を覚えていた。
「海が見えるんだよ」とは言っていたが、空港まで迎えに来てくれて嫌にはしゃいでいる彼女に連れられ、会津若松くらいしか知らなかった自分が福岡の若松に来ている。
確かにここは海の匂いがする。
自分と会えた事が嬉しいのか、何かいつもと違うような気がしたけれど初対面だし何も言えずにいた。
畑つき木造二階建ての家に着く。家族と住んでいると言われただけに引け目はあった。
恋人でもないし、友達と言っても初対面だし、両親にはどう言ったらいいのか躊躇するところはある。
「今お父さんとお母さん海外旅行中なんだ。だから今しかないと思って」
畑には菜の花のような花が咲いていた。赤カブの花らしい。観光をするわけでもなく、夕方から酒とつまみとを挟んで、妙に高揚している彼女と居間で喋りながら、ついに宵を迎える。
男の身としては、いや男代表というわけではないが、やはり期待はする。
両親のいない間に秘め事を二人の間で抱えるのも悪い話ではない。
残念ながら部屋は別々だった。二階にある彼女の部屋を見せてはもらったが、やはり女の子の部屋だ。匂いが違う。色使いも違う。正直、それだけで疼くものがある。
襲って嫌がられても困るので大人しく寝ることにしたが、夜突然けたたましく床を駆ける音がして、部屋の近くのガラス戸が開いた音がした。
異様な空気に体が多少震える。勇気を出して部屋のふすまを開けると畑に続くガラスの引き戸が開け放たれている。
そして畑の中で何かが動いているのを感じ携帯電話のライトで照らしてみると、犬のように四つんばいになり赤カブの花を貪っている彼女の姿があった。
喉が一瞬にして渇き、心臓に亀裂が走る。声が出ない。
違う人間かもしれない。彼女のわけがない。
だけど、「それ」は振り向き、僕の名前を呼んだ。
靴を履かぬまま急いで駆け寄り彼女を抱きしめる。
「どうしたんだよ。何してるんだよ」
「花は! 花は命を繋ぐものだからぁ!」
ぞっとした。恨みとも悲しみともつかぬ、おぞましい声が響いたように感じた。
「私、子供産めなくなっちゃったんだ。子宮筋腫で。全摘出することになって」
彼女は僕の胸倉を掴み、泣き崩れる。
会いたかった理由はこれだったのか、と直感した。一人で抱えるには辛かったのだ。
いつ、とも聞けない。辛かったろう、苦しかったろう。言葉を出そうにも及びもつかない。自分の体を寒気だけが爪を立てて引っかいている。
年頃の年齢で、希望の一つが失われたことを理解することは難しい。
男と女では、何もかも、感覚が違う。
それは僕と彼女が北と南でお互い離れて住んでいることぐらい、全てにおいて感じ方が違うのだ。
僕はただ、折れてしまいそうなほど抱きしめるしか術を持っていなかった。
目の前にはいくつかの喰らい散らされた赤カブの花が赤く染まった月に照らされていた。
参考写真:GMTfoto @KitaQ
http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2016/01/blog-post_27.html#more