恋桜
右の乳房を左手で添えるように持ち上げる。
貯水池に映りこむ桜のまあるい木が桃色に染まり、花弁をひとひら水に添えて波紋を広げ散らせる。
ぐっと指に力を入れて乳房を握ると吐息が漏れる。
そよ風が吹き、またひとひら。右親指を唇の紅に当て、爪を噛む。虚ろに開いた唇の奥に指を入れたくなるのを抑える。
まるで池に浮いているかのような桜の木は、周囲の色づきよりも真っ先に咲き乱れている。
昨日まで何も知らなかった私が知った肌。色づき咲いた熱と疼きに冷えた池は指先から震えを伝えてくるようで、怖くもあり、気持ちよくもあり。
あと一週間もすれば水面に浮かぶ無数の花びらを眺めることになるのだろう。
春の毒を受けたように散っていく桜の花は、燃え上がる恋のよう。
何かを紡ぐことはなく、積みあがっていくこともなく、答えが見えてくるわけでもなく、染まってなかったかのように消えていく。
首筋を指先でなぞり、鎖骨を滑っていく。乳房はすぐそこに。右の乳房には一つ、あなたの口づけの痕が花弁のように残っている。
今の私は微笑んでいるのだろうか。澄んでいるのだろうか。悲しい目をしているのだろうか。
汚れたようにも、生まれ変わったようにも、美しい感激に喉が締め付けられているようにも感じている。
手を伸ばしても空を切り、声を出しても溺れていきそう。
何かを知ったふりをして、感じた高揚に羽ばたけるような気がして、大丈夫だよと言われて、かわいいねと言われて、綺麗だよと口づけをされ、覚えていくのは永遠への感触よりも、失っていきそうな不安。
水の上を歩いて、あの桜の下までいき、水の上から見上げられたら、どんなに素敵なんだろう。そんなことは命あるうちは叶わないこと。
好きや愛しているが咲き乱れる。
両手で自分を抱きしめる。目を閉じてまぶたの裏にまあるい桜の木だけを切り取って映しこむ。心の内側、延びてくる波紋。ゆっくりと降る雨のような桜の花弁たちは、いくつものゆらめきを作って、足元へ歩み寄る。
目を開きたくなくなる気持ちをぐっと堪え、脳裏まで染みていきそうな桜の映像を打ち切って、再び池の桜を見つめてみる。
何のために、誰のために咲き乱れるの。
儚き花は心に消え残り、感触も残さず、微かに香ったかのように移ろっていく。
私があなたに抱かれて得たものは、まるで一瞬の桜花の移ろい。
恋桜。
参考写真:GMTfoto @KitaQ
http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2016/04/1.html