善と悪

善と悪

 どうすればいいのか腹は決まっているはずが、岩淵幸弘の心の中では迷いがあった。いかにも矛盾している。

 夜明けだ。若戸大橋の向こうに見える戸畑区の工場地帯には絶えることなく煙突から煙が吐き出されている。変わらぬ景色、変わらぬ営み。

 岩淵は深夜から高塔山公園から北九州市の景色を眺めていた。落ち着かず溜息ばかりをついて、眉間に皺を寄せ、自分の体が泥に埋まっていくような感触さえ覚えていた。知らなければよかったのかもしれない。

 自分の年齢を考えると余計に気分が重くなる。今年で五十二歳。万年課長でもいいとさえ思っていた。一人娘が大学に入ったばかりで金がかかる。今から貯金を崩すには老後が暗い。

 しかし岩淵がこれからやろうとすることは、会社と職を失うことで、自らの未来を潰す事であり、この地域では生きていけないことを意味していた。

 気がついたのは、一年ほど前だった。出世していった同僚の一人が突然首を切られた。自主退職を促されるわけでもなく、本当に突然だった。彼は営業部長で、不景気のあおりとはいえ、業績不振の責任を負わされた形となり責任を取らされたはずだった。しかし次の部長に代わった途端会社は黒字になった。

 おかしい、と感じた。

 誰もが新しい部長の手腕を褒めていたが、岩淵から見れば腕がない。センスがない。話術のレベルが低い。とても人に好かれるような魅力的な男には見えなかったし、どこか人を小馬鹿にしたような物言いが多かった。それは自分の業績を鼻にかけているのか、本当に仕事ができるからなのかわからないところがあったが、ハッキリと確信したのは、商品を構成している小さな小さな部品の一つなのだが、その部品の重要性を理解していなかったことだった。特許技術のついた部品は、うちの商品にしかない。

 岩淵は調べた。何故、黒字になったのか。同僚でさえ黒字にできなかったものが、人が代わったぐらいでできるものだろうか。

 事が事だけに、誰にも話さず一人で黙々と調べた。岩淵は仕事ができないと思われていて、完全な壁際族として会社のあらゆる人間から嘲笑の対象として存在していた。残業する理由も容易に作れた。深夜まで残り、家に帰っても妻と娘から文句を言われる始末。何の利益があろうか、と思うことすらあった。

 ダミー会社の存在に気がついたのは調べてから半年後だった。商品を売れたように見せかけるシステムが出来上がっていたが、所詮は子供騙し。いずれはばれる。この会社は終わっていた。末席とはいえ北九州を代表するような会社だ。こんなことが世間にばれれば経営破綻は免れない。うまくどこかに買収されたとしても人員削減は必至だろう。一体、会社の人間のどこまでがグルなのか。この事実を公表したからと言って、誰に褒められようか。妻は仕事を失ったことに対して激怒するだろう。そして地域に居辛くなる事も地元大学に通いだした娘に大きく影響してくるかもしれない。

 それよりもまず、娘は学費が滞るかもしれないことを知ったらどうするだろうか。

 深呼吸をする。体が震えてきていた。何もかもが怖い、と唾を飲み込む。

 若戸大橋を走る車のヘッドライトやテールランプが、先ほどはあれだけ眩しかったのが夜明けの日に薄れてきている。

 この日のばかりは太陽が昇っていくことが無慈悲にも感じた。

 高塔山の中腹には慰霊碑がある。若松港の防波堤として沈められた「柳」「冬月」「涼月」の三隻のものだ。

 いずれの三隻も前線に出て撃沈されることなく戻って来た駆逐艦だ。

 満身創痍になって、たとえ虫の息となろうとも、果たすべき役目がある。

 手には告発内容をつぶさに書いた手紙と書類のコピーが入った封書が握られている。

 五十二歳にして、今まで積み上げてきた人生を自らの手で崩す。このまま黙っていても傷が深まるばかりだ。黙って退職すればいいのか。いや、俺にはできない、と肝を座らせた。

 岩淵は朝もやを一気に鼻から吸い込むと、太陽が完全に地を照らし出したのを目に焼き付けた。

 善を行い、悪人となる。

 岩淵は昇る太陽に背を向け、駐車場へと歩き出した。



参考写真:GMTfoto @KitaQ

http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2016/03/blog-post_39.html

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光野朝風
あたたかなお気持ちに、いつも痛み入ります。本当にありがとうございます。