プライドと生き様

プライドと生き様

 六十を手前にして結婚を一度もしたことがなく、資産らしい資産もなかった。

 田中義明は小さなそば屋の厨房でバイトをしている。週三・四回の勤務。それ以上はもう体がずっしりと重くなって辛くなる。先月別の職場で前のめりにこけてしまい、右肩を強く打ち重い物が持てなくなってしまった。

 若い頃は酒、女、煙草、博打も多少はやっていた。それが酒で体を壊し禁酒。生活費を切り詰めなければいけないため煙草も止めた。女と言えば金の切れ目が縁の切れ目。激務のため四十から先はまったくと言っていいほどだった。

 高校を出てからは調理師学校に通い、二十歳から調理師として働いてきた。実家が小さな居酒屋だったため、手伝いとして入っていたが、父親は調理師免許を持っておらず格下だと見下して生きてきた。父親に何かを指摘されるごとに「格下」という気持ちが生まれ、鼻で笑っていた。その鼻で「フッ」と笑うことがいつの間にか癖となり、ニヒルでもなく、ただ人を小ばかにしたような笑いを、ことあるごとにする。当然感じが悪い。人に好かれるはずもなく、プライドだけは高かったので群れないことが自分の格式を保つかのような考えでいた。

 男は女に媚びるような真似をするのはみっともない。女は黙って男についてくるべきだ。硬い考えが女心の反発を招き、誰と付き合っても長くは続かなかった。特に鼻で笑う癖が付き合う人間全ての癪に障っていたことに気がつかなかった。どこが可笑しいのか理解できない。ただ馬鹿にされているような印象だけが残る。

 そんな義明でも小さなホテルの和食の総料理長をやったことがある。朝から晩まで働き詰め。格式の高いホテルならまだしも安く泊まらせる自転車操業のホテルであったから、安月給で使われるだけ使われた。格好のいいものではない。和食の調理人、ホテルの総料理長。肩書きだけは立派そうに見えるが、腕はそこらのバイトより悪い時がある。履歴書上は腕があるように見えるので、四十半ばから他のホテルに移り働いたが、鼻で笑う癖が邪魔し、プライドも高く自分に腕はなくとも知識はあるので、他人のちょっとした所業が許せない。ついにはスタッフを邪険にすることから味方もおらず、挙句の果てに反義明派のグループに追い出される形となり、五十を手前にしてバイト生活をし職場を転々とするような生活をしてきた。和洋中全ての職場を経験した。職場を転々とする理由は義明が言うには「あんなところ、俺から願い下げだ」と相手の欠点をあげつらい、自分のプライドを保とうとするが、内容はどこにも結局のところは眉をひそめられ、体よく首になったと表現した方が正しい。

 ついには最後に残ったそば屋のバイト生活。ここを首になったら生活そのものが成り立たなくなる。先月四十過ぎの入りたての女性厨房スタッフに「邪魔だ」「またお前か」と仕事ができないことが嫌で、感情むき出しの言葉を手短に投げつけ、泣かせた挙句、辞めていったのを快く思っていたが、職場のスタッフや店長に釘を刺されたため静かにしていた。しかし今度は以前からいるらしい一回り以上も下の「格下」の男性厨房スタッフが気に入らない。我慢のしどころだが、切れそうになる時があり、自分なりに抑え付けている。

 今月から新しい住居に移る。家賃が払えず、より安いところ、月三万は確実に切るところがあったのでそこへ。

 食費はバイト先の「まかない」でほとんどを払わずに済んでいるが、さすがに腹が減る時がある。ガスは極力使わずに、食費は最低限にとどめておけるように工夫する。風呂のない生活をしており切り詰めるだけ切り詰めている。それでも体が多少しんどい時にインスタント食品を使うことがある。

 ちょど帰り道、銀天街を通った。十年近くはここを通っていたが相変わらずの錆びれよう。その様子を見るたびにみすぼらしく感じ「フッ」と鼻で笑っていた。

 そういえば、と家には食材が切れていた。安売りのスーパーに行って安いカップ麺でも買えばいいのだが、今日に限って体が重く、そこまで行く気力がなかった。

 予備も考えて四つほど種類を変えて看板もボロボロの店でカップ麺を購入した。店員が「あんた顔悪いね。ほら、これおまけしとくから」と餅をひとつつけてくれた。よほど血色の悪い顔をしていたのだろう。店の異例の対応ではあったが、義明はそのことにも気がつかない。「ありがとう」の一言も言わずに黙って金を払い受け取る。

 店の看板の横には父親と娘の親子連れの標識。「歩行者専用道路」の意味である。義明がその形に気を止めることもない。子供がはしゃぎ通り過ぎるのを「うるさい」としか思えなかった。

 アーケードを出ると太陽が眩しかった。サングラスをつけ、肩で風を切るように義明は歩いて行く。一寸先の生活もわからぬままに。


参考写真:GMTfoto @KitaQ

http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2013/12/1_2.html

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光野朝風
あたたかなお気持ちに、いつも痛み入ります。本当にありがとうございます。