自殺日和
星月夜(ほしづきよ)が巡り、コオロギが山で鳴く。
ナナカマドの葉が秋時雨を弾き、紅(べに)に染める。
うろこ雲が流れて秋麗(あきうらら)。
イチョウが黄金(こがね)の扇を散らし、土に添う。
私はモミジやカエデが染まり落ちるのを眺め、また一つ、季節の死を、胸にざわめかせている。
一人、公園の池で鴨のつがいを眺めている。
もう寒くなるのに、あなたたちはお尻をかわいらしく振りながら、まだのんびりと冷たい水に身を浸している。
それとも飛び損なったのか。
傷を負っているのなら、私と一緒。
でもきっとあなたたちは、いつしか氷の張る前に池から消え去って、どこか遠い空へと行くのでしょう。
ベンチに座り膝の上で伸ばされた指はぎゅっと握られるような冷たさに侵食されてきている。
少しずつ、少しずつ、私を浸す冬の足音。
もう、秋はおしまいだね。
池が波打ち、水は打ち寄せる。
紙吹雪のように紅葉した葉が舞い、流れる水の向きに、葉のなびいていく先に、木枯らしを強く感じる。
帰りたくない。帰っても場所がない。
すべて冷たく凍ってしまえばいいのに。
私は声すらも失って、冷たさに身を任せるだけになっていた。
硬直した体は動かず、声すらも息切れしたみたいに過呼吸で止まる。
どうしてこうなったんだろう。
始まりはある。
意識できる。思い出せる。
ずっと大人しい性格で、学生時代は温和でよく笑う子だと思われていた。
それが「優しさ」として評価されていたし、友達も多かった。
社会人になり学校の「先輩」よりも年上の上司や社員を相手にするようになり、男性も、女性も、私が大人しいと見るや否や、いじめが始まった。
周囲の人たちには迷惑をかけたくない。
私が頑張れば、きっと周りの社員も心を尖らせなくても済むだろう。
私が未熟だから。
そんな考えで、責任感を一生懸命抱えて、いつまでも下っ端な自分を奮い立たせながら頑張っていた。
思い返していると、目の前の赤いモミジがむしり取られたように落ちた。
「助けてください」と、いつしか言えなくなっていた。
「助けてください」と、伝えたところで何を助けて欲しいのかわからなくなった。
格好の的となった私は相談した相手にも告げ口されて、いじめの口実を作られた。
私は誰かに微笑まれたり誰かと笑っている時が、一番寂しくなった。
悲しみを伝えられないことが悲しい。苦しみを伝えられないことが苦しい。
気がついたら、ある日突然薄く冷たい仮面をかぶるようになっていた。体が、心が、どうなってきたのか、理解することが難しかった。
言えばいいじゃないか。甘えればいいじゃないか。簡単そう言う人は、人に大事な事を伝えて傷ついたことがない人に違いないし、この世には自分を害する人間なんて一人もいないと信じて疑わないような幸せな人たちだ。
私は初めて「敵」となる人たちを知ったのだった。
この世界には「敵」となる人はいない。すべて自分の接し方次第なのだ、と。ある友達に言われたけれど、結局は「努力が足りない」と言われているに等しかった。
会社で能力の足りない私は常に嫌味を言われていた。仕事のちょっとした未熟さを大きなミスをしたかのようにネチネチと言われる。それは女性の上司からも、男性の上司からも酷く、そして仕事の時間の大部分を奪われながら言われた。
正直成人したと言っても子供だった。社会のことを何も知らない。これが社会人のあり方なのだと勝手に思い込んでいたし、そう洗脳されていた。
辛かった。痛かった。苦しかった。
だけど、わからなくなった。全部。全部。全部。何もかも、麻痺した。
ある日、本当にある日、突然のことだった。意識できないほど一気に、数秒前の自分とは違う自分になった。
優しいということは誰かの罪を肩代わりすることなのでしょうか。
それとも、私が、人への優しさを根本から勘違いしてしまっているのでしょうか。
疲れ果て、中央から地方へ戻って来た時、脱力感と失望感と、時間と共に湧き上がってくる安心感があった。
中央から逃げ帰ってきた、私は役立たずだ、という自分を責める気持ちがしばらく拭い去れなくて、しばらく泣き続けていた。
どれくらい泣いていたのかわからぬほど、結構一生懸命、自然に泣いていたから、私は地元で泣き続けたことで少しは救われたのかもしれないと思っている。
実家に帰ってきてから甥っ子などの面倒を見たりしていたけれど、さすがに甘えてばかりはいられないから仕事をすることにした。
あまり慣れてはいないけれど少しはかじった飲食店の調理場の仕事。
そば屋で、具を煮たり、天ぷらを揚げたり、メニューの種類はそれほど豊富じゃなかったし、ゆるりとした雰囲気のお店だったし、周囲の人たちも面白い人たちばかりだったから久しぶりに楽しんで仕事ができてとても嬉しかった。
少し続けていきたかったけれど、元々腰のあたりの骨に問題を抱えていた私は、ある日眩暈がするほどの感覚に見舞われ、立っていることが難しくなった。
お医者さんが言うには、これ以上立ち仕事を続けると股関節が完全にずれて将来立って歩くことも危なくなる、とのことだった。
職場では「ごめんなさい」と謝って、なるべく辛いところを見せないようにと頑張ってはいたけれど限界があった。
物に寄りかかっていなければ立っていられないほどだった。
そこで同い年の、自称小説家がいた。
ひょうひょうとしていて、あまり顔色を変えなくて淡々としているようで、どこかひょうきんな人。掴みづらい人だった。
その人へ仕事を辞めざるをえない状況を告白すると、心配しながら言ってきた。
「まあ、残った人のことなんて気にすることないよ。ここは人生賭けるような場所じゃないしさ、勝負のしどころはこれから沢山あるんだから、それまでちゃんと体大事にしておくといい」
その時は申し訳なさで言葉を飲み込めなかった。
実際仕事を辞めてからも、自分が辞めたから残ったスタッフに負担がかかっているんじゃないかと不安でならなかったし、結局役立たずな自分に戻ってしまい、考えれば考えるほど人間としての価値を見失いそうで怖くて、一生懸命そうじゃないって無理をしてでも気を張ろうとしていた。
でも、どこか限界がきそうで怖かった。
ある日吹っ切れてしまうんじゃないかって。
公園のベンチで思い巡らせていると、手の付け根まで凍らされたように冷たい。
雪が降ってきた。違った。それは雪虫だった。
白い綿のようなものをお尻につけて飛ぶ、秋口にだけ見ることのできる不思議な虫だ。
毛糸のマフラーに雪虫がへばりついて、静かに払おうと思ったら、その手で虫が潰れてしまった。
こうも、簡単に命が消えてしまう。ごめんなさい。殺してしまって、ごめんなさい。
私は役に立たない人間なんです。
ふらふらと上がったマンションの最上階。
突風が激しい。
ここは周囲の建物風がより強く吹きかけてくる場所なんだろうと思う。
十四階から見る下の景色は少し小さい。
街路樹はもう冬景色。後は雪が降るだけだ。
天気予報では少し早めの雪が今週中にも降ると言っていた。
全て白く染めて、全てがなかったことにして欲しい。意義を見出せない私の人生も真っ白くして、皆が私のこと忘れ去ってなかったことになればいい。
飛び降りればいい。秋の終わり。ちょうどいい。紅い華が咲く。汚い華かもしれないけど。
楽になれる。楽になれる。きっときっときっときっと。楽になれるんだ。楽になれるんだ。ここから一歩先に出れば、もう大丈夫なんだ。
「ここは人生賭けるような場所じゃないしさ、勝負のしどころはこれから沢山あるんだから、それまでちゃんと体大事にしておくといい」
ふっと、思い出す。
なんか、そういうこと言う人あまりいなかったような。
泣きながら、鼻水を垂らしながら考えてみる。
教えてもらったペンネームを頼りに持っていた携帯電話で検索をかけてみる。
かじかんだ手が震える。指先の感覚すらも遠くなりそうだけど必死に探した。
見つけた。
その人の作品は短編がほとんどだけれど、読んでいく中で、ある一説にハッと心打たれた。
「死にたいなら死ねばいい。次の日から生まれ変われるから。だから、その日の自分は、葬り去れ。結構、なんとかなる」
最後の締めくくりは「いつかこの小説を読むであろう君へ贈る」だった。
ごめんなさい。ありがとう。
私、死にます。飛び降りて、楽になります。何もかも失ったようします。
私は一歩踏み出す。背中側へ振り向き、足跡をつけるかのように、柵から遠ざかり、もう一人の自分は柵から飛び越え下へと飛び降りました。
悪い心の、苦しい過去の、すべてとは言えないけれど、捨てられるものを今日だけでも捨てて、また生まれ変わる。
一日、一日、捨てては生きて、変わっていきます。
私は冬の始まりに生きている。
地面に落ちた紅葉が雨でぐちゃぐちゃになり、やがては降りゆく雪に多い尽くされ、枯れ果て腐りゆき、しばれた季節が訪れる。
厳しい冬に覆い尽くされた後には、死んだはずの花たちが芽吹いてくる。
その名前を「春」と言う。青臭さがつけば「青春」になる。全ての新しさの中で生きることは「青春」に違いない。
私は木枯らしとは感じられなくなった風を頬に受けながら、季節の死に際を感じていた。
太陽は沈みかけているけれど、あたたかさをたたえている。微かな、冬の始まりを滑り込ませている光。
自分を整理するにはうってつけの日和だった。
私は、私を今日殺した。未来のために、殺してゆくのだ。
自殺日和。