うわさの男
昼休憩。小さな建築デザイナー会社の社員たちが馴染みの食堂で昼食をとっている。
東京出張から帰ってきた小椋は、社長の立花と先輩の江藤と三人、新しく入ってきたバイトのことについて話し合った。
「それで、バイト募集すんなり決まったんですね」
小椋が切り出すと立花。
「ほら、バイトって言っても雑用だしさ、誰でもできる仕事だから、来たら人が悪そうじゃなければ一発だし、だいたい俺たちみたいなおんぼろビルの中に入っている弱小企業じゃ、雰囲気も危なさそうだし、人が来ないもんな。来てもらっただけでもいいんだけどさ……」
言葉尻が虚空へ力なく消えていく。
「どうしたんですか?」
気になる小椋に江藤。
「それがよ、その人、五十歳くらいなんだけど一級建築士の資格持っているみたいで、いくつもビルとか建物作ってるらしいんだよね」
「え!? 何でそんな人バイトで入ってきてるんすか?」
小椋の驚きに立花、味噌汁をすする。
「何でってあまり立ち入ったことは聞けないからね。一応どんな建物建てたのか聞いたけど、東京じゃ〇×スカイビルとか」
「ええ!? それって全国的に有名なビルじゃないっすか! 何でそんな人来てるんすか! いや、それ一人で食っていけるレベルでしょ!」
驚く小椋に江藤。
「それがよ、この前来たとき手震えてたぞ。ちょっと酒臭かったような」
立花も同意。
「あの肌の色は肝臓悪そうな色だよね。濃い茶色がかってるもんね」
「アル中っすか!」
「あ、立花さん。あの人ステンレスの水筒二本持ってきていて、交互に飲んでましたよ?」
疑いは深まるばかりだ。
「それで、今日はいなかったみたいですけど、明日は来るんすか?」
「昨日電話来て車にぶつかって顔を怪我したって言ってたんだけど、今日は車に踏まれたとか言ってたな」
小椋、さすがに唖然とするほかない。
「車に踏まれたって言って休む人僕初めて聞きましたよ……怖いっすよ。顔面の骨絶対どうにかなってるじゃないですか」
「当たり屋だったりしてな」
江藤の言葉に立花も笑う。もはやここまで常軌を逸しているとネタ扱いだった。
後日、包帯をぐるぐる巻きにして来るかと思いきや、右目に青あざを作って出勤してきた。殴られた痕に違いないと皆が確信した。ついに酒に酔って暴力沙汰に巻き込まれたか。アル中は確定か。様々なうわさが立ったが、それ以前に経歴がさすがに怪しい。
しかし偶然にも小椋がバイトを知っている人間に出くわし話を聞くことができた。
母親が介護生活を余儀なくされ、父親だけでは介護しきれないために戻って来た、と言う。昔は何億も稼ぐような男だったが酒豪過ぎるのが玉に瑕だったとのことだった。全てを捨てて実家に戻るか、親を捨てて現地に残るかの選択をしたバイトのことを立花も江藤も話を聞くなり責めることはなかった。
一緒に飲もうと言っても「早く帰らなきゃいけないので」と頑なに拒否をする。その他、たまに確かに酒臭いことを除けば問題は一切ない。クビにすることだけはやめた立花だったが、話のネタにすることだけは欠かさなかった。
「聞いてよ! この前二人帰った後に血まみれで入ってきて、何事かと思ったら電柱に自転車でぶつかったって! それで……」
参考写真:GMTfoto @KitaQ
http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2015/02/blog-post_16.html