線路の下で
鈍い音が頭の中に響き、頭蓋骨にひびでも入ったのではないかと和子は頭を抱えた。
キルト帽を被っていなければ、こぶができたかもしれない。
鉄筋コンクリートの高架橋の下には小さなトンネルのようなものがあり、大人になった和子はもう頭がぶつかるようになっていた。
すぐ頭の上には日豊本線が走っていて、子供のころ行き来していた。中学高校は別の道を行っていたし、大学と就職は東京だったため、地元に戻る機会も少なく、実に十三年ぶりに通ったため油断していたのだ。
小さな頃は広く感じたトンネルが今は首を傾けて通らなければいけなくなった。
小学生が猛スピードで頭を低く保ち自転車で横を駆け抜けていった。
大人では気をつけないと頭をぶつけてしまうだろう。それこそ自転車のスピードでは頭を割ってしまうかもしれない。
わずか数メートルの高架橋下で首を傾けながら立ち止まる。
目の前の景色が傾いているのに何故か、こっちの方が正しく見えているんじゃないか、と思った。
小さな頃に真っ直ぐ見られた景色は、今は傾けなければいけない。
まるで会社に入った自分そのものを表わしているようだった。
小さな頃から変わらない場所。ここが通りやすくなる日は来るのだろうか。
首を傾けていることに疲れた和子は、その場でしゃがむ。
そこには昔見ていた景色がある。
ここではしゃがまないと真っ直ぐに物を見ることができない。大人になるのはとても窮屈だな。
体が大きくなった分だけ責任も増したけれど、恋愛はうまくいかないし、仕事も順調とはまだ言えない。
気分転換のために有給を取って地元に帰ってきたのだが、東京で毎日ファッション雑誌を眺めては流行を取り入れ着飾っているのが、地元だと違和感のある服装になる。
何か変だとは感じているけれど、どう直していいのかもわからない。
しゃがんでいるつもりが、うずくまっているようにも感じてくる。頭も痛い。最悪な気分になってくる。
列車が通り、轟音が頭上で響く。
ありったけの声で叫んでみると、心にこびりついたものが、足元の日陰に垂れ落ちていく。陰がより濃くなり、耳奥で鈍い痛みは広がる。ガタン、ガタン、と列車の音が叩きつけてくる。
叫んだ後に周囲を見回し、誰にも聞かれていないことを確認してから立ち上がり、何事もなかったかのように歩き出すと、日陰から出た途端光が目に染みた。
そうだ、と和子は携帯電話を握り締めた。黙って帰ってきたけど地元に残っている友達に連絡しよう。明日一日まだあるから誰かとお話して今の悩みも何もかも話そう。
二百件以上もあるアドレス帳のリストから、話ができるたった一人を選び出す。
久しぶりに会う私をまだ友達だと思ってくれているだろうかと不安になりながら、七年ぶりのメールを打ち出す。メールアドレスや電話番号が変わっていなければいいのだけれど。
電車が通り過ぎた後、透き通ったような静寂が和子の体を包んでいた。
参考写真:GMTfoto @KitaQ
http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2013/12/blog-post_8187.html