「むじな2017」と震災詠 ー駒木根淳子さんの手紙―
昨年の11月、東北出身・在住の平成生まれの18人で、俳句作品集「むじな 2017」を出した。ありがたいことに在庫僅少になり、増刷&通販に踏み切ることにした。自分で言うのも変だが、神野紗希さんを迎えての座談会の記録「今、東北で俳句を詠むということ」は震災のこと、地方俳句のことなどいろいろなことを語り合っていて、必読だ。(2月上旬に詳しい告知をするので、どうかこの機会をお逃しなく!)
題字をいただいた高野ムツオ先生、序文を書いてくださった夏井いつき先生はじめ、応援いただいた皆さまに改めて感謝申し上げたい。
発行後、多くの皆さまよりご感想をいただいた。
その中から、駒木根淳子さんよりいただいたお手紙のことを書いておきたい。
駒木根淳子さんは一昨年出版された句集『夜の森』(角川書店)の著者で、福島県いわき市にご実家がある。『夜の森』は今年の俳人協会賞にもノミネートされ、今もっとも話題になっている句集の一つだ。句集の題名は、原発事故で帰還困難区域に指定された桜の名所、「夜の森公園」から取られている。
しっとりと被災地を詠んだ作品に胸を打たれる。(amazon リンク)
ところで駒木根さんの句集とは対照的に、「むじな」には震災詠がほとんどない。
ぼくはそのことを、詠みたいものを正直に詠んでいるからではないか、と肯定的にとらえていた。神野紗希さんを迎えての座談会で、
「誰かのためにとか、後世の記憶に残すために震災を詠もうという感覚は持てない」「俳句は自分のために詠むものだと思うので、震災詠をあまり求めないでほしい」
と震災詠そのものにも後ろ向きな発言をしているくらいだ。ここでぼくが震災を詠むことに前向きになれない理由はいろいろあった。
まず、死者に捧げる句を、選者に点数をつけてもらう大会等に出句することの倫理性。それから一般論として俳句に時事を詠み込むことへの違和感。「震災詠」の題材探しのために被災地に行くのも好ましくない気がしていた。だからぼくが被災地で句を作る機会はせいぜい、閖上の復興朝市に買い物に行ったり、復活した海水浴場に遊びに行ったり、その程度だった。そこで拾った句は、ぼくの意識としてはたまたま被災地で出来た句なので、結局「これだけ復興しています」というようなメッセージ性はない。
だからぼく自身は、宮城県俳句協会で出版した『東日本大震災句集 わたしの一句』にも投句していない。
しかし同時に、被災地に住みながら震災詠にネガティブな思いを抱いてしまう自分に後ろめたさも感じていて、そのモヤモヤから「震災詠は被災経験を詠まざるをえない人が詠むべきものだから、俺は詠まないのだ」と開き直っているところもあった。
駒木根さんからのお手紙には、「私は詠まずにはいられませんでした」とあり、次のようなことが綴ってあった。
前述したように、ぼく自身は震災詠に対してネガティブな思いを抱いているが、そのことにモヤモヤしていたのも事実だ。駒木根さんからのお手紙の「震災詠にはある程度の人生経験が必要かもしれない」という一言で、このモヤモヤはかなり解消された気がした。
駒木根さんのご両親は震災当時もいわきに在住だった。現在お住まいの神奈川県といわきの往復は想像するだけでも大変であったろうと思う。軽い被災ですんだぼくなんかよりずっと、震災は日常生活に影響したはずだ。それでも駒木根さんは震災を直視して静かに被災地を詠いあげ、ぼくは意識して震災を詠まないできた。
しかし、それは人間性の問題というわけではなく、人生で背負ってきたものの違いなのだと言われると、安心するというか納得できる。
思い出してみると、東日本大震災はぼくにとっては高校三年の春休みの出来事だった。自分の家のことをするので精いっぱいで、津波を詠んだり、海を詠んだり、死者を詠んだ句は作っていない。荒廃した海を見に行くのも怖かった。震災前の閖上から亘理の荒浜までの長い砂浜にはずっと堤防が続いていて、そこを散歩したりサイクリングするのはとても気持ち良かったという思い出があって、その景色がなくなってしまったのを見たくなかったのだと思う。今でもぼくは幼稚なところがあるが、当時は今と比べてもまだまだ幼かった。
虚子は「俳句は極楽の文芸だ」と言っていたと思う。つらいとき、かなしいときでも、ふっと身近な自然や暮らし、たとえば季語を見つめ直してキラリと光る作品にする。それだけで何と楽しいことか。
しかし震災によって、つらいとき悲しいときに俳人のこころの置き所になる季語ですら、「季語は凌辱された」と言われる状態になってしまった。たとえば新米という季語には、放射能汚染や風評被害といった連想がまとわりつくようになった。大変な被災をされた方々には、無邪気に季語に縋ることができない人だっているにちがいない。
そうすると、ぼくのように「等身大の生活を詠む、自然を詠むんだ」と言い続けることはひょっとすると、中途半端に被災しただけの人間が現実逃避しているだけのことであり、非難されるべきものなのかもしれない。宮城県の俳人のハシクレとして、震災と格闘しなきゃいけないのかもしれない。
そんな葛藤に「詠もうと思うかどうかは、人生経験の違いですよ」という駒木根さんのことばがスッと心に沁みてきたのだった。
今ぼくは、ぜひ多くの人に春休み、東北へ・被災地へ、俳句を作りに遊びに来てほしいと思えるようになっている。東北の3月はまだまだ寒い。3・11のときも雪だった。とくに東日本大震災のころまだ小中学生だったみなさんに、被災地を見てほしいとも思っている。「むじな」を読んで多くの人に、東北の風土や歴史、文化、そして俳句に興味をもってもらえるなら、これに勝るよろこびはない。
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