124年前の節分のはなし
節分の日が、今年は2月2日らしい。
公転周期の微妙なずれが積み重なり、実に124年ぶりの珍しさのようだ。
124年前、西暦にして1897年。
この時の節分の日はどのような一日だったろうか、思いを馳せてみた。
まず第一に無視できないことは、果たして節分の日のずれを市民は認識していたのかということである。現代においても節分の日はバレンタインデー並みの消費を喚起すると言われている(朝活ナース調べ)。いわんや当時においては1年間のなかでも最大の消費が為される日だったに違いない。メインの商品とは何か。それはもちろん、豆である。この一日で年間の豆消費量の多くが消費されていただろう。農家もウハウハである。では、節分の日がずれていることを認識していない市民が多い場合、どのようなことが予期されるか。ここに極めて深刻な問題が生じうる。それは節分の日のずれを認識していた販売者とそうでない販売者の間の業績格差である。情報社会といわれる現代と異なり、当時はインターネットはおろかテレビもないのだ。もしかすると節分の日当日に豆を運び、その翌日に節分の日のずれを認識し、大量の在庫を抱え倒産してしまう企業も多かったのではないだろうか。(念のため「節分倒産」で検索をしたが、そのようなものはなかった)
次に考えるべきは鬼の存在である。サンタクロースがフィンランド出身であるのは周知の事実だが、鬼は鬼舞辻無惨が独占的に供給している。
すなわち、「鬼舞辻が節分の日のずれを正しく認識しているか」が節分の日の成功を左右するのだ。
従来であれば節分の日に
①鬼が出る
②豆を投げる
③退治する
④平和になる
という構図があった。
仮に節分の日を認識していなかった場合、
節分の日に
①鬼を待つ(出てこない)
②鬼が世界から消えたと祝い、豆を食べる
その翌日に
③鬼が出る
④退治できず、全滅
となってしまう。つまり、現代に生きる全国民は節分の日を正しく認識していた方々の子孫のみということだ。なんという真理。
(念のため「節分 鬼 人 襲う」で検索をしたが、そのようなものはなかった)
以上が124年前の考察である。
我々は人類が築き上げた過去の上に生きる賢者である。
この学びから来る2021年2月2日に備えたい。
おしまい。