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退職決意から退職へ。元公務員になるまでを語ります。
1 退職を考え始めた。
私は、2023年3月に某県庁を退職しました。当時は保健所でコロナ対応をしており、休日も年末年始も無いような状況の中で働いていました。コロナ業務が2年ほど続いた頃、公務員を退職する意思が現実的になったのは、2022年の2月でした。
外部の大学講師による30歳代のキャリア研修を受けたことがきっかけです。これまで、県の制度を使って県人事課の職員とキャリア面談をしたり、外部のキャリアカウンセラーのキャリア相談制度を利用して自分の人生を模索していました。しかし、これまでのキャリア相談では
『組織の中でどのように自分の能力を活かし、また開発し、自己実現していくか。』
つまり『組織の中でどう生きるか』という点にフォーカスがされていました。
自分の中にうまく落とし込めないキャリア相談でした。今、冷静に考えてみれば組織が用意したキャリア面談ですからね、『組織の中でどう生きるか』ってところにフォーカスして当然なんですけどねw
2 意識を変えてくれた外部講師のキャリア研修。
某大学の講師によるキャリア研修はとても興味深いものでした。2日間にわたって行われた研修で、ざっくり内容を説明すると、自身について内省し、これからの『キャリア』を考えていくというものでした。印象的だったのは、『3つのキャリア』について考えよう。という演習でした。
▶1つ目
『組織の中でのキャリアを考える』
例えば、どの部署に異動してどんな仕事がしたいか。どんな資格が取りたいか。などを考えます。
▶2つ目
『組織以外の場所でのキャリアを考える』
例えば、この組織を出たと仮定した場合の外部でのキャリアを描く。
▶3つ目
『思いつくだけ自由な発想でキャリアを考える』
外部講師の先生は、『君たちは30代でまだ若く、この組織で活躍する未来と、組織を出て外部で活躍する未来もある。様々なキャリアを自由に描いて視野を広げてください。』
とおっしゃっていました。
後に、『30代はまだ若い、様々な可能性を持っている。』の言葉の意味を退職後に、私自身が深く理解することになりますが、またどこかで書こうと思います。
話しを戻しますと、この演習で1~3のキャリアを考えたところ、私は1の組織に残るキャリアを全く描くことができませんでした。
『この組織に残ることに私の希望や、自分が幸福感を最大限に感じられる未来は無いのかもしれない。』そう思った瞬間でした。
そこから本格的に退職にむけたロードマップが出来上がっていきました。
3 公教育の成果物だったわたし。
私自身は振り切って優秀な人材だったかというとそうではありませんが、小学生のころから成績は良い方だったと思います。いわゆる地元の進学校といわれる公立高校を卒業し、国公立大学へ進学しました。いわゆる地方の進学校とよばれる高校の典型的な進学パターンです。大学を卒業して、地元にUターンし、地方公務員になりました。
『優秀な会社員や公務員を養成する。』
という典型的な公教育の成果物だったのではないかなと思います。
地方公務員として県へ入職した後も、違和感を感じつつも定年退職というゴールを目指して走っていました。嫌だなと思うことがあっても、『こういうものだから』と思っていましたし、公務員を辞めて外部で生きるなんていう選択肢を考えたこともありませんでした。
意識を変えてくれたのは、前述した人事課主催の外部講師のキャリア研修と、保健所での新型コロナウイルス感染症対策業務でした。
今でも振り返って思うことは、コロナ業務をやらなかったら退職はしなかったかもしれません。コロナ業務は、別の機会があれば書こうと思いますが、多忙で心身がすり減っていたことは確かですが、行政の役割とは、仕事とは、なんなのか、人生における幸福とは、なんなのか、深く思考するきっかけでした。3年間に及ぶコロナ業務とキャリア研修が偶然にも同時期に重なったということは何かの必然だったのかもしれません。
4 退職までの1年間の流れ。
2022年2月 人事課主催のキャリア研修を受けて退職をおぼろげに考え始める
2022年4月 退職を決意して、家族に相談
2022年11月 所属人事担当との人事意向面談
2022年12月 所属人事担当から本庁人事課へ退職の意思が伝えられる
2022年12月 本庁から退職の意思確認の入電
2023年1月 所属の人事担当から退職の意思確認
2023年2月 退職届を提出
2023年3月 異動の発表
2023年3月31日 県職員退職
2022年4月に退職を決意して、家族に相談しました。家族から了承をもらい本格的に退職へ向けて動き出します。毎年秋ごろに、異動希望を伝える所属人事担当との人事意向面談があります。所属の人事が職員の意向をヒアリングし、本庁の人事課へ個人の意向を伝えます。
2022年11月に人事意向面談の場で退職の意思を伝えました。所属の人事担当は驚いていました。(まぁ、当然そういう反応になりますよね。)退職の理由などを口頭で聞かれて、数日考えるように言われたのちに、数日後に退職に関する意思確認があり、再度退職の意思を伝えて、私の退職の希望が本庁へ伝えられました。
12月になり本庁から退職の意思確認の連絡があり、再度、再考するように言われました。数日考えたのちに、再度、退職の意思を伝えました。
年が明けた2023年1月に所属の人事担当から退職の意思確認があり、2月に退職届を提出しました。退職届が本庁の人事課に届くまでは退職の意思が撤回できるようで、何度も所属の人事担当者から、『今日、本庁へ退職届を持っていくけど本当にいいか。本庁に手渡すまでは退職の意思は撤回できるから。』と何度も念押しされたことを覚えています。
退職届で面白かったエピソードがありまして、なぜか私の退職届を、所属の人事担当の方がパソコンで作成してくれて、私は押印するだけでしたwそういうものなんでしょうかね?皆さんどうでした?
2023年3月末に異動の発表があり、私の退職が公表され、退職も辞令がおりて、3月31日に10年間勤務した県を退職しました。
5 公務員を退職して後悔しているたった1つのこと
公務員を退職する直前まで私は3つのことに後ろ髪をひかれていました。
▶1つ目
『公務員というプライド』
▶2つ目
『公務員という身分・福利厚生』
▶3つ目
『毎月支払われていた給与と年2回の賞与』
1つ目は『公務員というプライド』です。
地方に住んでいるので、『公務員(県職員)』です。というと、それなりの信頼を得ることができます。ローンも組みやすいですし。また、職業を聞かれたときに、すごいね~といった空気になるわけです。なんともちっぽけな私のプライドが退職の邪魔をしていましたが、一番初めに手放すことができたのは『プライド』でした。2022年末には気持ちの整理がついて自然と手放せていた気がします。
2つ目は『公務員という身分と福利厚生』です。
1つ目と重なる部分がありますが、女性が働く職場として、公務員はかなり恵まれていると思います。様々な子育てを支援する制度が用意されていますし、休暇も取りやすい。身分も保証されているし、福利厚生も充実しています。ローンも組めますし。退職する3月末まで『公務員という身分と福利厚生』はなかなか手放すことができませんでした。退職直前にはこれも自然とあきらめがついた気がします。
3つ目は『毎月支払われていた給与と年2回の賞与』です。
もしかすること、これは未だに未練がましく手放せていないものかもしれません。いえ、きっと今でも未練がましく執着していますw
『毎月支払われていた給与と年2回の賞与』と同額を、個人事業・株式投資・不動産賃貸業で稼ごうとすると、かなりの労力と元手を提供しなければなりません。賞与もありませんしw
公務員時代と同額ないし、それ以上を生み出すことができれば、3つ目の経済的な後悔を私は手放すことができるのでしょうか?もうすこしもがいてみたいと思います。
あさか一個人の体験談がどなたかのお役に立つと幸いです。
2024年12月10日 あさか主任
藤野公子先生著『ビジョンロードマップの法則』
あさかもこの書籍で定期的にロードマップを描いて内省しています。
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