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朱雀門出と不条理怪談①──「不条理」以外勝たん

早速ですが、私は「不条理」の効能というのを、世界を広くすることだと思っています。
世界(宇宙でもいいけど)にはわかることとわからないことがあります。それは当然なんですが、実際問題として、宇宙物理学くらいのスケールで世界を眺めた場合、わかることの割合というのは全体の2、3%しかないわけです。
ただそんなふうに考えると人間は不安になり、不安というのは恐ろしいので家から出なくなる、仕事もしない、他者と愛を育まない、その結果、狂い死にをして子孫が絶えるということになり社会がおぼつかないので、なんとなく世界のことをわかった顔をして生きている。私たちの人生にはこうしたポーズがつきものです。
けれどすぐれた「不条理」というのは、そのわかった顔にヒビを入れて、おまえは本当はなにもわかっていないということを教えてくれる。要するにそれに触れたあとでは、この世界を生きるのがほんの少し怖くなる。
怪談というのは、虚構のストーリー(これは「実話」怪談であってもそうです)なんですけど、本来、物語というのは一種の法=秩序であって、私たちはそれに加担することで安心安全な枠組みを得ているわけです。
「不条理」は、そうした物語の法=秩序に風穴を穿つ。統一化された世界をバラバラに解体して、人間は孤独になる。よって狂死断系、とそこまでには至らないと思うが、私たちの今ここそのものを無意味で不気味なものに変えてしまう恐ろしいものです。
もう少し怪談の話をすると、これは先日、朱雀門さん本人からご指摘があったんですが、以前、私はどこかで「怪談ってそもそも不条理なものだから」みたいなことを言っていたようで、なんとなくそんな記憶もなきにしもあらずです。
でも実はここんとこを押さえてない人が結構いて、というのも先祖の墓を粗略に扱ったところ諸々のさわりが起きたとか、いじめ殺した前妻の幽霊が出てきて怖かったとか、最悪なのに至ってはabortionを繰り返した女性が水子の霊に取り憑かれているとかいう話を、まあまあ多くの怪談プレイヤーが書いたり語ったりしておりますけれども、これって要するに既存の怪談観や、もっと言えば封建的価値観を強化しているだけなんですね。言うなれば、大人版『ねないこだれだ』(せなけいこさんを私は大変尊敬しておりますが)みたいなものです。
こういう人たちのおかげで高額なパワーストーンや愚劣な心霊グッズが山と売れ、市場が賑わう、国民の生活が豊かになる、よかったね、とは私はビタイチ思いません。いい加減、そういう再生産はやめましょう恥ずかしい、と思います。
もっともこのあたりの話はすでに朱雀門さんが『怪談に至るまで vol.1』にて詳述していらっしゃるので、私からの言及はここまでにします。というわけで、怪談における「不条理」とはなにかみたいな話をようやくしようと思うのですが、前置きが長すぎて疲れたのでそれは次回からにします。不定期に、できたら5、6回に分けて書こうかな。

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