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ロシアとヨーロッパがぶつかり合う境界で揺れ動いてきた国々と知られざる未承認国家、沿ドニエストル共和国

キリスト教白人社会という共通項を持ちながらも一線を画した歴史を歩んで対立してきたロシアとヨーロッパ。
そのふたつの巨大な力がぶつかりあう境界に位置するウクライナ。
ウクライナの中でも、中央を流れるドニエプル川の東側は親露派のロシア人、西側は親欧派のウクライナ人、まさにここで東西が分断されている。

このドニエプル川の中洲にある自転車屋でメンテナンスしてもらった。

パーツ代をディスカウントしてもらった上に工賃無料と良心的だった。
ここの店主とは今も時々連絡をとっている。

首都キエフ。

9世紀に成立したキエフ大公国はキエフ・ルーシとも呼ばれ、その「ルーシ」が後のロシアの語源ともなる、つまりウクライナとロシアの両国にとってのルーツである。
ベラルーシにも「ルーシ」が付いており、これらの国々には共通の民族意識がある。

13世紀、徹底的な破壊と殺戮でヨーロッパを恐怖のどん底に陥れたモンゴル帝国の襲来でキエフ大公国は滅亡、以後200年にわたってモンゴルの支配下となった。
キエフは荒廃し、住みついた無法者などが後のコサック騎兵となる。

代わりに中心地はモスクワとなってモスクワ大公国(後のロシア)が成立、ドニエプル川の東側を領土とした。
西方ではポーランド王国が勢力を拡大、ドニエプル川の西側はポーランド領となった。

ルーツを同じくする兄弟とも言えるロシアとウクライナだが、モンゴル支配後から別の道を歩むことになる。
ロシアはキリスト教正教会にモンゴルの文化が加わり、武力による独裁政治(政教一致)を強めたのに対して、ウクライナはポーランドの支配下でカトリックの影響を受けて欧米の民主主義(政教分離)に寄るようになった。

18世紀に成立したロシア帝国は広大な領土を獲得し、ポーランド全土をも併合。
20世紀にソビエト連邦が成立、ポーランドは独立したがウクライナはソ連に飲み込まれた。

1991年、ソ連の崩壊にともなってウクライナとして独立。
モンゴル襲来以来、実に750年ぶりの自国国家成立となった。

2014年ウクライナ危機。
EU加盟をめぐって親露派と親欧派の対立が激化して内戦となり、ロシア系の多いクリミアで独立を問う住民投票が実施されて可決、これを受けてプーチン大統領はクリミアをロシアに併合した。
何よりも不凍港が欲しいロシア、黒海北岸から突き出たクリミア半島は軍事的にもきわめて重要、奪えるものなら奪うだろう。
欧米にとっては、クリミアをロシアに抑えられて勢力を拡大されるのは脅威となるため、欧米諸国および日本はロシアへ経済制裁を下したが、ロシア国内ではプーチンの支持率が上昇した。

当時の暴動の様子。

同年、ウクライナ東部の上空でマレーシア航空機が撃墜された。
数時間前にプーチンが乗った飛行機が同じ航路を飛んでおり、ウクライナ軍が間違えて撃墜したという説、親露派がウクライナの軍用機と間違えて撃墜したという説があるが、真相はいまだ不明。

ウクライナ危機の影響で通貨フリヴニャが暴落。
驚くほど物価が安くなっている。

モルドバ。

モルドバは、民族的にも言語的にも西隣りのルーマニアと変わりない。

ここもまた、ロシアと西側がぶつかり合い、領土を奪い合ってきた東西の境界。
ルーツとなるのは中世のモルダビア公国だが、オスマン帝国の属国となり、ロシア帝国領となり、ルーマニア王国領となり、1940年にソ連に飲み込まれた。
1991年、ソ連の崩壊にともなってモルドバ共和国として独立。

ひっどい道路。

道端のあちこちに井戸。

モルドバは、1人あたりGDPがヨーロッパで最低。
ヨーロッパ最貧国と言われている。

思いのほか、物価が高い。
ジンバブエや西アフリカ諸国もそうだったが、ロークオリティ・ハイプライスという逆転現象が起きている国がたまにある。
特に、通貨暴落で物価安となっているウクライナからモルドバに来ると、よけいに理不尽な物価に感じる。

ルーマニアはEU加盟国だがモルドバは非加盟。
同じ民族なら合併してしまえばいい、その方が経済的にも強くなれると思うのだが、国際的には分離独立はけっこうだが併合はけしからんという風潮がどういうわけかある。
モルドバ人にも聞いてみたが、ルーマニアとは親密だが合併の意志などなくモルドバはモルドバとして生きていく、と語っていた。

首都キシナウ。

ルーマニアと同じくラテン系の言語。
ウクライナやブルガリアのキリル文字と比べるとラテン文字は読みやすくて楽だ。

スペイン語やイタリア語と同じく、「carne」は「肉」。

英語でミートと言われても全然おいしそうな響きがしないが、カルネと言われるとヨダレが出そうになる。

ウクライナとモルドバの境界にひそむ未承認国家、沿ドニエストル共和国へ。

ここは国際的にはモルドバ領とされているがモルドバ政府の支配が及んでおらず、沿ドニエストル(Transdniester)と名乗る人たちが実効支配している。
世界地図にも掲載されておらず、Google Mapsでもこの国は確認できない。
誰からも承認されていない国、それでも独立国家として存在し、機能している。

18世紀にロシア帝国が西の国境を防衛する目的でロシア人やウクライナ人をドニエストル川の東側に移住させたため、モルドバの他の地域に比べてここはロシア人の割合が大きい。
ソ連末期にモルドバが独立の動きを見せ、同族であるルーマニアとの連携を強めたことに対してドニエストル川東側のロシア人が反発し、1990年に沿ドニエストル共和国として独立を宣言した。
1992年、沿ドニエストルの独立を認めないモルドバと戦争になり、ロシアのバックアップを受けた沿ドニエストルが勝利した。

住民構成は、ロシア人3割、モルドバ人3割、ウクライナ人3割。

沿ドニエストル人から話しかけられた。

やはり外国人はめずらしいのか、日本人だと答えると驚いていた。
それから、通りすがりの人がロシア語訛りの英語で「Welcome to Dniester!」と言ってくれた。
また、小学生の男の子たちが小声で「キタイ(中国人)」と言ってクスクス笑っていた。

ロシア人の多いこの地は以前から経済的に成功していたようで、モルドバより街並みがきれいに整備されている。

沿ドニエストルのプラスチックコイン。

ギターが弾けそう。

なぜこの国は国際社会から承認されないのか?
武力によって征服して勝手に独立宣言してつくられた国などいくらでもある。
沿ドニエストルはロシアのバックアップによって独立し、現在も軍事的経済的にロシアの支援がある。
そのロシアですら、承認していない。
もしここを承認したら、ロシアにとって独立してほしくないチェチェンなどの国が動き出すからなのかもしれないが、大国はそれぐらいのダブルスタンダードはいつもやってることだろう。

沿ドニエストルとしては、承認されないからといって独立国家をやめるはずもなく、前進もせず後退もせず膠着状態のまま。
それでも人々は生活していく。

生まれてきた子供に「この国は世界から存在を認められていないんだよ」と教えるのは少々さびしい。

再びモルドバへ。

名もなき湖。

夜、こぼれる天の川を横切る流れ星。
朝になってもこの美しさ、なお僕を惹きつけて行かせてくれない。
今日も走るよ。

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