雑考:「自分」とかいう錯覚
長いことひとりで旅をしていると、自分がどんな人間だったか忘れる。
日本にいる時は、同じ日本人、同じ世代、同じ男性、といった類似性の中で他者との差異が浮かび上がり、その差異が自分の性格だったりキャラとしてみなされる。
帰国すると、忘れかけていた日本での自分のキャラを思い出し、またそれを演じて生きていくことになる。
旅をしている時は、「現地人という他者⇄日本人としての自分」という対比しかしなくなる。
現地人という他者は、僕を「突如現れた自転車に乗った日本人」として見るため、僕の個性は「突如現れた自転車に乗った日本人」でしかない。
他者というのは、波のように近づいてきては遠ざかり、演じていた何かは泡のごとく消えていく。
途方に暮れるような無人地帯を何日も走り続けている時は、現地人と接触することすらなくなる。
そうなると自分とは何だったか、どころか人間であることすら忘れかけ、ただひたすらペダルをこぎ続ける何かの生命体、ぐらいにしか思えなくなる。
それぐらい削ぎ落とされ、ぶっ壊されると、「自分」という概念も他の何もかもが虚構のように思えてくるし、実際そうなのかもしれない。