民族の凝縮世界で血を流してきたバルカンの現在
旧ユーゴスラビアへ。
「南スラブ人の地」を意味するユーゴスラビアだが、ひとくくりにはできない民族、言語、宗教が混在するバルカンを強引にひとくくりにしていた国であった。
時は世界大戦、バラバラの状態でいたら侵略されてしまう。
異民族に支配されることへの抵抗として、ひとつの民族国家としてまとめられたのがユーゴスラビアであった。
カリスマ大統領、チトーのパワープレイによってユーゴスラビアはひとつの国として成立していた。
ソ連の衛星国となった東欧諸国とは異なり、チトーはソ連型ではない独自の社会主義路線を推進し、東西の対立に介さない中立化をはかった。
しかしチトーの死後、そもそもひとつの民族国家などではない、民族間対立をはらんでいたこの火薬庫が解き放たれ、凄惨な内戦が相次ぎ、ユーゴスラビアは崩壊した。
現在は、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア、モンテネグロ、北マケドニア、コソボの7ヶ国がそれぞれ分離独立している。
まずは、スロベニアとともにいち早く独立したクロアチアへ。
首都ザグレブ。
南スラブはギリシャに近いこともあって正教会のイメージがあるが、クロアチアとスロベニアはカトリック。
血生臭い内戦のイメージを払拭しがたい旧ユーゴだが、なんとも美しいではないか。
スロベニアに次いで、クロアチアは2013年にEUに加盟。
きれいな街並みは経済力の表れでもある。
どうも、北の方から早いとこ脱ユーゴしてヨーロッパ化したがっているような志向が感じられる。
白人は全体的に大きなガタイをしているが、南スラブ人は特に大柄な気がする。
身長190~200cm以上の人も決してめずらしくはない。
手足が長くて筋肉質で、おまけに小顔、恵まれた体型。
ストリートミュージシャンが多い。
高い歌唱力、街を歩いているだけで惚れ惚れする歌声があちこちから聞こえてくる。
学生のコーラスグループ(?)みたいなのでもこのレベル。
アドリア海。
たまたまキャンプした海辺で。
鏡の海をひとりじめ。
自転車旅しててよかった。
北海道と同じぐらいの緯度だが、アドリア海周辺はとても暑い。
地面の熱がいつまでも背中に伝わって寝苦しい。
ヨーロッパサイカブト。
あまりの暑さ、昼飯はアイス1.65L一気食い。
プリモシュテン。
ドゥブロヴニク。
モンテネグロへ。
2006年にセルビア・モンテネグロから分離独立。
セルビアとモンテネグロは民族的言語的にほぼ同じ。
EU加盟はまだ果たせていないが、通貨はユーロを使用している。
クロアチアに比べると経済力はだいぶ落ちるようで、古びた建物や廃墟が多く目立つ。
その国名からも推察できるように、山がちな地形。
すばらしい景観。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。
入国して最初のキャンプ場は、英語がまったく通じなくて困った。
他のキャンパーたちはグループで、爆音BGMで踊り、パーティのように盛り上がっていた。
僕はやるべきことをすませてとっとと寝るつもりだった。
しかし気づくと、キャンプ場のレストランのおじさんが、僕のテントの前のピクニックテーブルの上に無言で料理を並べ始めた。
僕は何も注文していないので、あっけにとられていた。
このおじさんも英語が話せないようで終始無言だったが、しかし笑顔で、ジェスチャーで「どうぞ」と差し出してくれた。
なんてありがたい。
最高においしかった。
首都サラエボ。
ここはヨーロッパではめずらしい、イスラムテイストの強い国。
オスマン帝国の領土だったため、国民の半数近くがイスラム教徒。
瓦屋根の木造建築。
なんだか不思議なフュージョン感。
イスラムというより、和風!?
モスクもあれば、正教会もあれば、カテドラルもある。
ユーゴの解体にともなってボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立した際、この領域に住むムスリム・セルビア人・クロアチア人による三つ巴の内戦が勃発した。
この三勢力は明確な居住区で分けられていたわけではなく複雑に混在していたため、互いに隣り合う他民族を虐殺する民族浄化がおこなわれ、世界大戦後のヨーロッパの紛争では最も凄惨な戦場となった。
また、さかのぼって1914年、第一次世界大戦の引き金となったのもここサラエボ。
ゲルマン勢力であるオーストリア=ハンガリー帝国がスラブ勢力であるボスニアを併合、それがスラブ側の民族感情を激昂させ、ボスニアのセルビア人がオーストリアの皇太子を暗殺した。
世は一対一で戦う時代ではなく、複数の国が同盟を結ぶチーム戦となり、このサラエボ事件から初の世界大戦へと発展した。
学校で習ったこの歴史的事件、大人になってから自転車で通りすがることになろうとは思ってもみなかった。
ユーゴスラビアの中心であったセルビアへ。
首都ベオグラード。
ドナウ川とサバ川の合流地点に位置する。
一連のユーゴ紛争を終わらせたのは、アメリカ主導のNATOによるセルビア空爆であった。
国防省をピンポイントで空爆。
その建物は解体もされずそのままの状態で残されている。
生々しい。
僕にとっては映像でしか見たことがない戦争。
このボコボコにされた国防省は、あまりに生々しくリアルに迫ってくる。
ムスリム、セルビア人、クロアチア人の三者とも互いに残虐なジェノサイドをおこなっていたが、国際社会はセルビアを悪玉とし、セルビアをつぶすことで決着をつけた。
誰が正義で誰が悪なのか、そんなものは本当はない。
視点を変えれば正義・悪は簡単に入れ替えられるし、報道も世論も操作されている。
バルカンの人々は民族意識が非常に強く、現在もセルビアvsクロアチア、セルビアvsコソボ(アルバニア人)の対立は根深く、話題に触れる際は注意しなければならない。
当事者は中立的な視点を持つことができず、強い感情をあらわにする。
内戦はつい20~30年前のこと、まだ若い世代にも記憶に刻まれているのだ。
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