「期待している」、は柔らかい鞭
こんばんは、あさじかんです。
今年も師走、はやいですねー。
みなさんの今年はどんな年だったでしょうか。
あさじかんの今年はいろいろな変化の年でした。
会社に部署が変わり、新しくプログラミングやスケートを始めたり新しいチャレンジやコミュニティに入るきかっけができて概ね楽しかったのではないでしょうか。
そんな中でいろいろなマインドセットを体感した年でもあったと思います。
さて、みなさんは「君には期待しているよ」という言葉をいをどう捉えますか。
自分でも気づかないポテンシャルを見て評価してくれているとか。
チームの中で自分のポジショニングを示しているとか
多分どれも本当のことだと思いますが。
あさにとってはポジティブなモチベーションを利用した搾取の手法に思えてしまうのです。
なぜなら、頑張っている人間に「今はまだまだだけど、あなたならもっと頑張れるでしょ」と言ってもっと頑張らせる常套句に思えてならないからです。
ちょっとへそ曲がりなのかもしれないですが。
でも、そういえば、自分がリーダーをしているときに後輩に「期待しているよ」と言ったことはなくて。
なぜならみんな十分に頑張っていて、その成果がでないのは教え方や、メソッドを十分に伝えられていないからと思って、個人の更なるがんばりで成果を出すことを「期待」することは想定していなかったからです。
私が部下に示すべきこととは、もっとパフォーマンスを上げるために必要なメソッド(テクニック)であり、もしくは成果をあげるためにまだあげていないと思っている意気消沈した部下にかけるマインドセットを促す言葉であり、少なくとも「もっとがんばりなさい」という(敢えて言う)投げやりな言葉ではないかなと思うのです。
これはキャリアを積み重ねた経験によってドラスティックに変わる捉え方と思いますが。
「期待している」という言葉をかけた者は、かけた人間に何をコミットして責任を担うのでしょうか。
昇進?昇給?キャリアチェンジ?
どれも明確にコミットせずに「匂わせ」でにんじんをぶら下げているにすぎません。
「期待している」は舌ざわりの良い「鞭」にみえるのは私だけでしょうか。