「神様の嫁」本編

○山の中腹にある寂れた神社(夜)

山の中腹、木々に囲まれた一角にひっそりと佇む寂れた神社。
境内中央、拝殿の前に簡ゴザが敷かれ、その上に白無垢を着た市太が正座をして座っている。

市太は角隠しで顔半分が見えない状態で、神様が来るのを待っている。
わずかに見える表情は険しいが、覚悟を決めた男の顔。しかし身体は小刻みに震えていた。
市太M「(村の人には気づかれなかったんだ。大丈夫)」
市太M「(あとは神様さえ騙せれば…)」

その時、拝殿の戸がゆっくりと開いた。
そこから漏れる光。

と、同時に飛び出してきたのは絹で出来た黒地に桜や川の刺繍が施された着物を着た小柄な少女だった。
少女は無邪気な笑みを浮かべ、市太へ抱きつく。その勢いで市太の頭に乗っていた角隠しが吹き飛ぶ。
そうして少女――全の胸に市太の顔が埋まってしまう。
全「人間じゃー♡」
市太「うぶっ!」

全は小動物でも愛でるような手付きで市太の頭を撫でながら、頬ずりをする。
その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
一方の市太は、突然のことで戸惑い、慌てている。
全「うふふ♡ 人間が来るのはほんに久しぶりじゃ♡」
全「嬉しいのう♡」
市太「ちょっ…ちょっと待って! くるしっ…!」

なんとか胸元から顔を離すことが出来た市太。
全の柔らかな肉感に顔を赤らめどぎまぎしながらも、状況を理解しようとする。
市太「ここは神様のお住まいだぞ! 勝手に入るなんて…」
全「そうじゃ。わしの住まいじゃぞ」

市太、驚きのあまり目をむいてしまっている。
そんな市太の反応が面白いようで、全はニコニコ笑顔だ。
市太「嘘だろ! こんな小さな女の子が神様なんて!」
全「本当じゃ」

全は両手を広げ、拝殿を背景に得意げな顔を浮かべる。
全の力によるものか、それとも圧倒的な力により市太にそう見えるだけなのか、拝殿は夜だと言うのに輝いていた。
全「わしは全」
全「もう千年近くこの社に暮らしておるしがない神じゃ」

全はすっかり気の抜けた市太の頬を、右手でそっと優しく撫でた。
顔は一見微笑んでいるように見えるが、その実、目は笑っていない。
市太、この状況のせいですっかり忘れていたが、神様にバレてしまったことで本来の目的を思い出して頬を引きつらせる。
全「それで?」
全「お主、男でありながら何故女の格好でここにおるのじゃ?」

市太、覚悟を決めて深く頭を下げる。
市太「俺は姉の代わりに神様の嫁としてやって参りました!」

市太は顔を上げないまま話を続ける。
一方の全は、市太の話に驚いているようで目を丸くしている。
市太「10年に一度、神様へ嫁を捧げる我が村の儀式…その嫁に今年姉が選ばれました」
市太「しかし、姉には隣村に好いている方がいるのです」

市太は必死の形相。
市太「嫁は女のみと決まっているのは百も承知」
市太「ですが、両親の代わりに俺を育ててくれた姉には幸せになってほしいのです。ですからどうか! どうか今回はお許しいただけないでしょうか!」

それを聞いて、神様は眉根を寄せて困ったような拗ねたような顔。
全「そんな儀式わしは知らんぞ」

今度は市太が困惑する番だ。さすがに顔を上げている。
それでも全は顔を横に振る。
市太「いや! でも10年前もおゆきさんが神様の嫁に…」
全「知らんもんは知らん!」

市太、困惑しながらも状況を整理する。
市太「なら娘達はどこへ? 村には帰ってきてないし…」

全、市太の手を取って立ち上がらせる。
全「大方逃げ出したのではないか?」

そうして市太の手を握ったまま、突然空にふわり、と浮かんだ。
いきなりだったので、市太は声もなく驚く。
全「ほら見よ、山を向こうを」

言われて市太は恐る恐る下を見てみる。
すると、自分の村とは違う、知っている隣村とも違う村が見えた。
全「わしが寝とる間に逃げ出して、他の村で生活を始めたのだろう」

市太、そう言われて内心安堵する。
表情もわずかに柔らかくなっており、自分のしたことは早合点だったな、と苦笑い。
そんな市太の知らない間に、全は女の姿から男の姿に変わっていた。
市太M「(なんだ、こんなことなら身代わりにならなくても良かったな)」

市太、神様がこの儀式を知らないのなら嫁になる必要もないなと判断し、お願いしようと神様の方を見る。
市太「全様、そういうことなら嫁の件はなかったことに…」

しかし、自分の手を握っていたのはいつの間にか男の全。
市太にしてみたら、女といたはずなのにいきなり男がいるのでわけがわからず驚き、絶叫。
市太「誰―!?」
全「だから神じゃよ」

さっきよりも戸惑ってしまい、うろたえている市太。
そんな市太に向かって、柔らかな笑みを浮かべる全。
市太「え? だってさっきは女で今は…え?」

全、市太がなんでこんなに戸惑っているのかやっと理解し、頷く。
全「わしに性別はないんじゃ。だから男でもあるし…」

瞬きをする間に、全は女の姿に戻る。
全「女でもある」

そしてまた男に戻り、掴んでいた市太の手を引き寄せる。
いつの間にか、空いている方の手で市太の腰を掴みながら。
市太、男の時でも全の顔の良さにときめいてしまい頬を赤らめてしまう。
全「だから嫁も、女でも男でも良いのじゃ」

全と市太、やっと地上に戻ってくる。
そっと足を下ろしながら、全は市太をまっすぐ見つめる。
全「じゃからお主…ええと、名前は…」
市太「あ、俺の名前はいち――」

全、またいつの間にか女に変わっており、笑顔で市太に顔を寄せる。
近すぎる距離に市太はまた胸を高鳴らせる。
全「市太じゃ!」

市太、どぎまぎと驚きでどうしていいかわからない。
全はそんなことお構いなしに、ニコニコと楽しそうな笑顔。
市太「どうして名前を…」
全「人間の名前くらいちょっと覗けばすぐわかる!」

額を重ね合わせた状態で、全はまっすぐに市太を見つめる。
全の与えるぬくもりに、胸が高鳴ってどうしようもない市太。
そんなふたりを、月明かりが照らす。
全「市太、わしの嫁になれ」

どぎまぎしながらも、市太はなんとか目を逸らす。
市太「いや、俺は男だし…」
全「だからそんなもの関係ないと言うたじゃろ」

全は離れると、掴んだままの市太の手を引いて楽しそうな表情で拝殿に向かって歩き出す。
全「わしは市太の顔が気に入ったんじゃ!」
市太「別に普通だと思うけど…」
全「いやいや! なかなかどうして良い面をしておる」

神様に褒められ悪い気はしないのだろう、市太の喜びが顔に出ている。
市太「そうかなぁ…」

その時、市太は境内の隅になにかを見つけた。

暗がりでハッキリとは見えない。
が、月の光が徐々にそこを照らしていく。

するとそこには、人間の手だか足だかの骨が突き刺さっていたのだ。
市太「!」

市太は恐怖に顔を歪める。
市太M「(骨? なんでこんなところに埋まって…)」
市太M「(まさかっ!)」

市太は恐る恐る、前方に目を向けた。自分の手を引いて歩く全の姿だ。
全は上機嫌で、鼻歌を歌っている。
全「結婚と言えば酒じゃろ! 今日はとっておきのを開けるとしようかのう」

市太は恐怖に震えながらも、必死にこの状況を考える。
市太M「(全様は嫁の儀式なんて知らないと言った)」
市太M「(でもそれはあくまでも全様の意見だ。もし…もしさっきの話は嘘だとしたら? 本当はみんな知っていたとしたら…)」

市太、骨のことを考えながら全に対し疑いの眼差しを向ける。
そんなことは知らず、全は尚も楽しそうな様子。
市太M「(嫁として捧げられた人達は全員殺されている…!)」

全がいつの間にか立ち止まっていることに気づかず、市太は青ざめ恐怖に震える。
市太M「(逃げなきゃ殺される! 逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ…!)」

ふいに気配に気づいて顔を上げる市太。
市太「?」

すると、いつの間にか目の前に全が来ており、市太は小さな悲鳴を上げて驚く。
市太「ひ…!」

月の光が照らしているのか、全の表情はなぜか見えない。
全「市太、何を考えておる?」

市太、恐怖に声が震えてしまう。
市太「お…俺が本当に嫁でいいのかなって」

市太、焦りながらも時間を稼ごうと必死にあれこれ喋り始める。
市太「俺いつも姉さんになんでもやってもらってたから自分じゃ何も出来ないんだ! 料理も掃除も洗濯も! だから嫁には向かないって言うか…」

全の両手が、市太の頬を包み込む。
その感触に、市太は全身を大きく震わせる。
市太「っ!」

それはどこまでも低く、男とも女ともつかない声。
闇の底から聞こえるような音色。
全「人間のことなどなんでもお見通しだと言うたじゃろ」

闇に飲まれていく市太。
しかし、逃れようと思っても逃れられない。
手をしっかり掴まれているからだ。
市太「嫌…」

逃れられないとわかると、市太は更に必死になって暴れ出す。
泣きそうになりながら、それでももがく市太。
市太「嫌だ! 放せ! 放せよ! まだ死にたくない!」

しかし、どれだけもがいても逃げられることはなく、全は市太の肩を噛みちぎった。
市太「が、ぁッ――!」

痛みに意識が遠のいていく市太。
よろめく身体。
市太「っ、う…」

とうとうその場に倒れてしまう市太。
全は口元に血を滴らせながら、市太を見下ろしている。
市太は掠れた目で全の姿を見つめている。
市太M「(やっぱり姉さんの身代わりになって良かった)」
市太M「(姉さんが死なずに済んで良かった………………)」

意識を失う市太。
そんな彼の身体を片手で抱き上げる、男の姿になった全。
市太を拝殿の戸の奥に寝かせる。
全「疑われるというのはいくつになっても心が痛むのう…」

外に下りて骨を拾う全。
全「しかし、片付け忘れがあったのは想定外じゃった」

顔を上げる全。
その目の前にはいつの間にか空を隠すような巨大な蛇の怪異がいた。
全「お主じゃな、わしの嫁候補達を次々と殺しておったのは」

蛇の怪異は舌をチロチロを出しながら、全を見下ろす。
蛇の怪異「こんな山奥に美味そうな人間のおなごがおったら食うのは当然だろう!」

全、拾った骨で蛇の怪異を指す。
全「何百年と気づかぬわしも愚かじゃが…」
全「わしが寝ている間に住処を荒らすとは、油断も隙もないのう」

全、いつの間にか爪が長くなっている。
全「結婚式はしばらくおあずけじゃな」

蛇の怪異、全を殺そうとしっぽで攻撃してくる。
蛇の怪異「前からお前は邪魔だと思うておったのだ! 去ね! 仮初の神め!」
 
しかしそのしっぽは、全の爪で切り離されてしまう。
 
驚く蛇の怪異。
しかし全はお構いなしに、蛇の怪異の頭上より更に高く舞い上がる。
全「確かにわしは神ではないが…」
 
そうして頭上から、長い爪で蛇を縦に引き裂く。
 
蛇の怪異の血にまみれながら、全は月明かりに照らされて佇む。
全「人間共が崇めてくれるのなら、わしはいくらでも仮初の衣を纏おうぞ」
 
○時間経過
○神社の奥座敷・寝室(朝)
 
寝室に横たわっていた市太は、光にまぶたを刺激され、ゆっくりと目を開ける。
市太「ん…」
 
ぼんやりと周囲を見渡す。
そこは神社の奥の奥にある、人間はたち入ることの出来ない神域。
そこでは季節はなく、いつも花が咲き乱れている。
まるで別の建物のように美しく、淡い光が溢れている。
しかし今の市太にはそれはわからない。
市太「ここは…?」
 
その時、ふと気がついて視線を足元に向ける。
 
すると、女の姿をした全が市太のお腹当たりに腕を回して抱きついて眠っていた。
市太「っ!?」
 
市太、まだ眠っている全を見てあれこれと思案する。
市太M「(殺されたと思ってたのに…生かすつもりがあるってことなのか? わからない)」
市太M「(とにかく今なら逃げられる)」
 
しかし、子どものような寝顔の全を見て身体が動かなくなる。
市太M「(でも…)」
 
市太には、たとえ人間を殺すような神だとしても全は輝いて見えるのだ。
市太「やっぱ全様顔がいいんだよなあ…!」
 
市太の声で目を覚ます全。
大きなあくびをするその姿に、市太は若干怯む。
全「ふわぁぁ」
 
目を覚ました瞬間男の姿になり微笑みかける全。
そんな全を見て、やっぱり胸が高鳴ってしまう市太。
市太「ぐぅ! 男の方でも顔が良い!」
 
そんな市太に飛び付こうとする全。
市太は驚きながらも、拒否しようとする。
市太N「まあいっか」
 
それでも抱きつく全に、市太は文句を言いながら引き離そうとする。
庭では桜は咲き誇り、穏やかな時間が流れている。
市太N「もうしばらく、そばにいても……――」

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