孑孑日記㉙ およそひと月ぶりの

 早くも、ネタが尽きてきた。はじめたてのころに書くことがないことについて短い文章を書き連ねたが、それが再びやってきたのだ。いや、正確には候補はあったのだ。「子どもという負債」とか「ブッツァーティ『タタール人の砂漠』について」とか、世界文学のこととか。しかし、この短い時間ではまとめきれないと僕は直感したし、そもそも『タタール人の砂漠』は読み終えていない。世界文学も、僕は学部を終えてようやくスタートラインに立っただけだ。その状態で、どうやって書くことができるだろう? ものの30分で……
 ともかくもいま僕には書くことがない。日記とか作文とか、自分のことを書くのに抵抗がなかったら、こんなことには悩んでいないはずだ。しかし、僕は自分のことを書くことができない。だからこそ小説を書くほうに傾斜している。小説なら、自分を出さなくても空想で世界を作り上げられるからだ。しかし作文とか日記とかは自分を中心とした現実世界を記述しなければならない。僕はそれが苦痛なのだ。自分を抜いた世界を僕はみたいし、作りたいのだ。ある意味神になりたがっているのかもしれない。こうして言葉にしてみると、ものすごく自分が情けないやつに思えるな。いや、実際社会的には僕は情けない雑魚なのだ。この空前の売り手市場で、延べ130社(団体)落ちるのはどうかしている。家庭内の立場もよくないし、何となく行く末が知れてしまってきている、と感じる。今日は以上。

(2023.8.25)

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