孑孑日記④ バンクーバーの朝日
1世紀は前のことである。もはや誰も知ってはいない、数多くの野球リーグがあった。その中の1つがバンクーバーにあった。港湾労働者が多く、街の雰囲気は盛んで、肉体自慢が名を連ねた。そのチームはパウエル球場に本拠を置き、Brain Ballと呼ばれた、いまでいうスモールベースボールを武器に好成績を残した。所属する選手の多くは周囲と比べて体格に恵まれないながらも、それでも彼らのできることをして、白人の巨漢たちを打ち破った。
チームの名は朝日。いわゆるバンクーバー朝日だ。バンクーバーに暮らす日系人が中心となったチームだ。日本遠征の経験もあり、また1935年にはアメリカ遠征に来た東京巨人軍、すなわちいまの読売ジャイアンツと対戦したこともある。朝日はバンクーバーの日系人たちの星であった。勤勉さで疎まれていた日系人が結成した「おらがチーム」。30年以上、バンクーバーを拠点に野球をし続けたのだ。
だが1941年、太平洋戦争が勃発すると、北米の日系人の例に漏れず、朝日の選手たちもまた連行され、収容所へと移された。バンクーバーの日系人は散り散りになり、朝日も同様に消滅した。依頼半世紀以上、朝日は日の目を見ず、忘れられた存在となる。再び彼らが顧みられるようになるには、1994年のTBSの報道を待たねばならない。
(2023.7.26、まだ寝てないので7.25の分にしてほしい)
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