日記123 最近聴いてる曲
大漠波新「あいのうた」である。「うわっ、すげー曲」と音楽を知らない人間なりに思っていた。これほどに心を震わせる、壮大で強烈に盛りあげたカタルシスの響きはめったに出会えるものではない。YouTubeでは190万回再生程度と曲のすごさにしては少なかったので、「じゃあニコニコだともっと多いかな」と考えてニコニコ動画を覗くと、その期待に反して70万回にも満たない再生するだった。ウソだろ!? と思った。同時期のよく似た旋律の「のだ」はYouTubeで400万回再生、ニコニコ動画で100万回再生を超えているのに、こっちがそこまででもないのが信じがたかった。
いや、出来の凄まじさの割に伸びないのは仕方ない面もある。あまりに強烈なインパクトを与えるから、軽く聴ける種類のものではないからだ。これを受けとめられる心理的状態は常ではない。むしろこの強烈な盛りあげは、リスナーにこの曲の支配下にいることを強いる。そこでリスナーは圧倒されて感動することになるが、だいたいの人は作品に圧倒されることを求めてなくて、むしろ安全地帯からキャッキャと曲をダシにして戯れたいのだ。そしてそれは「あいのうた」よりも「のだ」の方でよりやりやすくなっている。「ずんだもん」というキャラクターを神輿にして戯れる、それが容易だからこそ、みんなか「のだ」の方に集まったのではないか。少なくとも僕にはそう思える。
こんなにすごい曲なのに! 友達ふたりに押しつけたら好評だったのに! このまま忘れられた名曲のひとつになるのは、僕にはあまりに耐えがたい。
(2024.2.1)
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