孑孑日記㉚ 読んでいない本について堂々と妄想する
小島信夫初期短編集『公園|卒業式』を探しに栄の丸善に行った。名古屋駅の三省堂書店及びジュンク堂にはなかったので、愛知県内の書店で置いているとしたら、あとは豊橋の精文館書店が栄の丸善だと思ったのだ。しかし地下1階の文庫コーナーに行ってみると、あったのは『美濃』と『国立・各務原・名古屋』だけで、『公園|卒業式』は置いてなかった。というわけで全然関係ない2冊を買って丸善を出たわけだが、それにして『公園|卒業式』はどんな小説なんだろう、と気になって仕方がないのである。
Twitter(現X)を眺めていたある日突然、どこの誰かも知らない人のツイート(現ポスト)で『公園|卒業式』のことが流れてきた。「文章がキショすぎる」とかそんな感じの投稿だった。キショすぎる文章ってどんなだ? いまひとつ想像がつかない。著者視点から見つめられるものから離れた場所にはいないのに、いつまで経ってもそれを直視も近づきもせずにぐるぐる回り、目を伏せているような感じだろうか? ちょうど『アメリカン・スクール』の、英語の苦手な英語教師のような。これをもっと極端に、ウジウジイジイジさせているのだろうか。ずっとひとりで内向的に、お気に入りのあの子をちらちら見ては、ああいいなあ、なんて可憐なんだろう、袖から覗く手首細いなあ、ん、友達と喋ってる、笑った! 細めた目の、睫毛の長いのがわかった、あの毛先で頬をふわりと撫でられたいなあ、おっとこっちに気づいたかな、見ないで、見ないで、僕なんかいないふうに…… みたいな。
勝手に『卒業式』をイメージして妄想した。『公園』もやろうかと思ったが、中身が『卒業式』と変わらなかったのでやめておく。しかしほんとうにどんな小説なんだろう? タイトルが抽象的だから、具体的な場面が想像できないし、妄想もあり得るパターンが多すぎる。
ところでこの『公園|卒業式』はいま売っているところがあるんだろうか? 品切れになってやしないか? どこに行けば入手できるだろう。あるいは通販か、日本の古本屋で探すべきなのか……
(2023.8.28)
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